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20220606_といといとい

今日Sちゃんの誕生日だ


早めに家を出たけど、人身事故。月曜、天気大雨、なんとなく予想はしていた。わたしは即振替で、べつのルートに行こうとしたけどそこでもやはり混んでいた。出遅れた。でもよく考えてみたら、振替のルートで行ったっていつもよりも時間ロスしてしまうし、今早く行かなきゃいけない理由は、本質的にはない。なので、駅のスタバで時間潰すことにした。こっちだって早くしないと席がなくなってしまう。早足でスタバに向かい、席を確認した。ギリギリ1席空いていた。

カモミールの茶葉が欠品してるらしく、代わりにソイラテを頼む。そして今に至る。

今日、モレスキンのノートを久しぶりに持っていこうと思ったら、すぐに見つからない。無くしたはずはないのに、わたしはついに自分が今までやってきたことまで無くすつもりなのかと朝から悲壮感に満ちてた。けど、よく探したら一回探した鞄の中に入ってた。ただの見落とし。よかった。気力は若干消失した、けどあったからよかった。


友達、仕事仲間、わたしは今やそこでのコミュニケーションは、全部同じような形になっていたことに、こないだ気づいた。「○○ちゃんの前だったら、素の自分でいられる」なんてことはもう、ない。もともと人との関わりというものは、鎧を纏って役割を演じるに過ぎない。もっというと、その「素の自分」なんてものも、ない。

でも、自分が嘘をついている、自分自身に対して、または相手に対して「嘘」と感じてしまう瞬間から、いろいろ拗れてくる。特に、自分自身に嘘をつき続けていると、自分の考えが全部フェイクに感じて、何一つ生きてる実感が持てない。


今ここに文章書いているのだって、↑みたいな結論にしたいからなったというより、書いていたらこうなった。自分の意志というものがあって、その意志を表明、発出することが自明とある世界では、そんなものただの堂々巡りだ、自分の意志はどこにあるんだ、なんなんだ、と問い詰められる。

「あなたは何がしたいの?」

なんでこの問いに、素直に答えがでないのか。


2022/06/06   8:13

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