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読むまちづくり

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#日記

今週のnoteのアクセスランキング

今週のnoteのアクセスランキング。 ※今回から先週分の「ランキング」は抜いていく。 1位 よく企画書を書くときに聞かれる「目的」と「目標」と「狙い」の違いとはなにか? https://note.com/nonnnomodel/n/n1fd87ffef111 いつものやつ。 2位 「弱い人ほど群れる」というけど、実際は「弱い人ほど群れられない」と思うって話。 https://note.com/nonnnomodel/n/n4146ad775b7c これもいつも人気。 3

今週のnoteのアクセス数ランキング

◯1位 この記事ずーっと人気。ちなみに講演でもリクエストが続いている。よほどみんな目的と目標の違いってなんなんやろと悩んでいるんだろう。 ◯2位 まちづくりにおける様々な「成果」も人口ボーナスの賜物だったのではないか。という話。日本はこれから確実に人口が減る。それを踏まえた作戦がいる。 ◯3位 昨年の私のまちづくり研究の発見の一つが「地縁」「志縁」に続く第三の縁としての「気縁」の存在を示唆できたことだと自負している。 ◯4位。 なんで急に上がってきた。 日本の地

プラットフォームの治安悪化とエクソダスの話

2000件の未読通知 大学院の友達が、メールを2000件くらい溜めていた。なのでスマホのメールアプリの右肩にある赤い丸の中に、2000とか数字が書いているのだ。 なんで?と聞くと、「迷惑メールが多いから放置している」というのだ。 電子メールは便利だ。一斉にたくさんの人に送ることができる。便利なんだけど、その便利さが悪用されて、安易な広告や詐欺のメールが跋扈するようになってしまった。いうなれば、メールサービスというプラットフォームの治安が悪化してしまったのだ。 無論、そ

チラ裏化、誤配と消化不良、SNSのタイムライン問題、オーバーギフティング、信仰あるいは気分について

自分の書くものの「チラ裏」化の進行なんだか久しぶりにまとまった文章を書いている。最近、文章を書いてもネットに公開しないことが増えた。本当の意味での「チラ裏」化してきている。かつては、もっと早く、もっと広く見てもらわなきゃ、みたいな妙な焦りみたいなものがあったし、もっといえば、「せっかく考えたことだから多くの人に知らせる方が親切だろう」と思っていた。だが、そういう感覚が薄れてきて、わざわざ人に見せなくてもいいな、と思うようになってきた。これは結構新鮮なことだ。

2023年の振り返り

私は予定をグーグルカレンダーで管理しているが、事後的に事実ベースに修正する。足跡はカレンダーに可能な限りすべて残すようにしている。 カレンダーを振り返って概観すると、2023年は、前半期に無理をしたことで中盤に体を壊したが、やるべきこととやってはいけないことの線引きが見えた一年だった気がする。 1月 十三騎兵防衛圏コンサートに行くついでに東京ツアー。 映画「スラムダンク」を見に行った。 大雪で腰を打ち、2週間ほど難儀する。初めて整形外科に行く。 飲み会や夜の仕事が続

頑固な高齢者/アンラーニングとドンラーニング/コミュニケーションの共創性、あるいは二次創作性

「頑固な男性高齢者」とは? まちづくり活動に関わっていると、高齢者の居場所づくりをしましょう、みたいな話にしばしば出会う。 で、この話題が進んでいくと、結構な確率で「男性の高齢者が居場所に出てこない」という話になる。 こういった場に関わる女性に話を聞くと、「男の人は頑固だからつながりたがらないのだ」というストーリーが語られることが割とある。 ここで問題になっている「つながりを避ける頑固な人」というのは、なぜつながりを避けるのだろうか。

「魂」と「魔法」の話

オカルトの話をしたいわけではないが、「魔法」と「魂」という言葉を使いたい「オカルトとかスピリチュアルの話をしたいわけではない」という前置きからいきなり始めるのだが、こんな話をする。 最近「魔法」と「魂」という言葉を考えている。 前置きした通り、オカルトの話をしたいわけではない。ここでいう「魔法」とは、「観察者がメカニズムをわからない影響力」のこと、「魂」とは「本人もうまく説明できない突き動かされるような行動の原因」のことをそう呼んでいる。 魔法とは「観察者がメカニズム

人の世界観に興味がある、という話

何かを始める人の動機に興味があった私はここ20年ほど、まちづくりと呼ばれる営みの周辺で研究をしてきたのだけど、じゃあなんでまちづくりに関心が湧いたのか、というと、思うに、「人が何かをする、その動機」に関心、というか、憧れに近い興味があるんだと思う。

年度末登壇イベントまとめ

このひとつきで関係するイベントが続くので、自分でも混乱するのでまとめを作りました。「たにやん、前に宣伝してたあれはいつやった?」というときに参照してください。 豊中市「新しい「施設(ハコ)」から生まれるコミュニティ〜みんなでショコラを楽しまへん?」 2/25 https://www.facebook.com/ryouji.tani/posts/pfbid02bgKDNGZ5FL1Dt9UxmB3aqtLD9x4XL3owZ5Ga3ZiysXdBeE3TBtXNatajJK

「人生はゲームか?」という問いに、どう答えるのがゲームとして最も有利か問題。

古いお友達と久しぶりに話をする機会があって、最近はゲームの研究をしていると聞いた。ゲームは私も関心のあるテーマだったので面白かった。 そこで「人生はゲームだろうか?」という問いかけがあった。大変おもしろい問だと思った。 私の思うゲームの定義 さて、ゲームの定義を考える場合、広い意味での定義と、狭い意味での定義がありそうだ。

「めんどくささ」の閾値も人によって異なる説〜あるいは、「めんどくさい」まちづくりでリクルーティングをやっていくための一考察

 最近、なるほど、と私に気づきがあったのが、特定の行為に対して「めんどくさい」と感じる閾値にも個人差があるっぽい、ということだった。  例えば、誰しも一度は「めんどくさい」と感じたことがあるであろう学校の宿題というもの。これだって、同じ宿題でも「めんどくさい」と感じる人と感じない人がいたと思うんだね。  で、宿題をめんどくさがらず、ちゃんとやってきた子は優等生として扱われ、めんどくさいといってちゃんとやらなかった子は問題児として扱われるという傾向があったわけだ。

「問題を定義する」ことでイノベーションが遅れるメカニズム、あるいは「まちづくりはイノベーションを求めていないのではないか?」問題について。

 先日、とある集まりでお友達としゃべっていて、なるほどと気付かされたことがある。  お友達は、「イノベーションを起こしたければ問題を定義してはいけない」という。

自己効力感保存則〜変えることができることとできないことの境界線を巡るお話

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「人と認知できる範囲の間」に収まる存在のことは「人間」と呼べそう

 「人ならざる怪物」を指す言葉で「人外」ってのがあるじゃないすか。人の予想を超える存在だから「人外」。てことは「人と認知できる範囲の間」に収まる存在のことを「人間」と呼べそうだなあと。  ちなみに辞書的には、「人間」はもともと仏教用語で、「世の中」とか「人の世」を意味したそうです。「人と人の間」ってことですね。「人間」に「人」そのもの意味が加わったのは江戸時代以降だそうです。江戸時代以降は「人間じゃないと人ではない」ってなったってことかもしれないですね。  さて、上の話に