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読むまちづくり

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#地域活動

人口の波とまちづくり組織の活性化の話

先日、まちづくり関係のお友達と話していて、おやじの会の話になった。おやじの会は東京では1986年に設立されたという組織だ。 1986年とは、1947年生まれの団塊世代が39歳と元気と体力があまりまくっているタイミングだ。1971年生まれの団塊ジュニアが15歳、ちょうど中学生になったころだ。よく聞くように、おやじの会は小学校でPTAをやっていたおやじたちが、子どもが中学に上がったあとも、地域で活動したいと考えて自主的に結成したというストーリーに合致する。 おやじの会はその後

町内会の加入率を高める方法について、copilotとおしゃべりして教えてもらった

町内会の加入率を高める方法について、copilotとおしゃべりして教えてもらった。 自分:町内会の加入率を高めることに成功した事例について報告している論文を10本検索し、その内容について、500字でレポートしてください。 Copilot:町内会の加入率を高める成功事例についての論文レポート 町内会の加入率を高めるための成功事例について、以下の論文を調査しました。これらの研究は町内会の活性化や加入促進に関する有益な知見を提供しています。 「ソーシャル・キャピタルとしての町

コロナ禍における市民活動の新設と展開プロセス 京都市伏見区醍醐地域MK氏の活動のケーススタディ

2023年7月2日に東京都市大学で実施されたコミュニティ政策学会大会で、「コロナ禍における市民活動の新設と展開プロセス 京都市伏見区醍醐地域MK氏の活動のケーススタディ」と題して報告をしました。ここではその報告の記録を記しておきます。 ※なお本報告は山田大地氏との共同報告。 研究の背景と目的コロナ禍で少なくない地域活動が活動を停止、縮小してきた。大体の調査を見ていて、全国的にそのような傾向があったことがわかっている。 そんな逆風の中、むしろ新規に活動を始め、さらに既存の地

地域活動への参加経路の偏り問題〜あるいは昭和家族モデル・ノスタルジー問題

 地域活動というのは、地域に住んでいる人なら誰でも参加できるように開かれたものであるべきだし、誰もが参加することが望ましいものだ、という信念は、地域活動支援に関わっているとしばしば語られる。この信念は、いわゆる市民社会論的な思想であり、その意味で崇高な理想だと言ってよいだろう。  一方で、現実に目を向けると、地域活動への参加可能性はある属性に偏ってしまっていることが知られている。

地域ボランティア活動に若者が参加してくれない問題を、彼らを取り巻く労働環境から考える

 よく「もっと若者に地域ボランティア活動に参加してほしい」という声を耳にします。地域団体に関わると、二言目には聞くような声です。資本主義社会に生きる我々は大抵の場合、労働することで対価を得て資本を形成する、ということを生活の軸に置いている、というか、置かざるを得ないわけですが、そうすると、労働時間に対して対価の発生しないボランティア活動というものは、基本的には余剰資本を使って行う余暇、消費行動の一種であるとみなすことができます。  そんな消費行動に地域組織が支えられていると

まちづくりのボランティア活動を楽しく続ける秘訣とは?

 先日、西宮市生瀬地区のまちづくり活動者向けの勉強会にお招きいただき、講演とワークショップを実施しました。そこでお話した内容を記録しておきます。  ここで主催者から頂いていたお題は以下のようなものでした。  当然ながら、地域ごとに事情が違うので、すべての地域に共通する答えはありません。おそらく生瀬の中でも、違いがあるでしょう。同じ地域の中でも、団体ごとに違いもあるでしょう。なので、一般論で答えられるものが、あなたの地域の問題をすべて解決してくれるわけでは当然ありません。

「地域団体の永続性」を願いがちな理由に関する話

 時に、権力者は永遠の命を望んだものだ。始皇帝とか有名だ。  中華を統一した権力者ならさておき、現代社会に生きる我々は自身の永遠化を望むだろうか。あんまり望んでいなさそうに思える。むしろ古今の神話や文学は人が永遠の命を持ったらろくなことになんないよと繰り返し言ってきたし、そのミームを受け継いだ我々は永遠の命にはさほど関心は内容に思える。せいぜいアンチエイジングくらいであろう。  仮に我々が自身の永遠化はあまり望まないとして、その代わり別のものの永遠化は案外カジュアルに望ん

町内会の回覧板にはさまれたチラシとは「リッチコンテンツ」である、という話。

 まちづくり界隈では、「効率化して作業負担を減らそうぜ」という話はずっとなされていまして。その中で、繰り返し出てくる話が、「地域の配り物を電子化しよう」論なんですね。例えば回覧板なんか、メーリングリストなりLINEなりにしたら、いちいち人が配らなくていいし、楽でええやん、という。  しかし、「繰り返し出てくる」ってことは、「繰り返しポシャっている」ってことで。その理由は色々あるだろうけども、例えば「スマホやパソコンを持ってない人はどうするねん問題」とか「地域団体役員のICT

「地域組織の役員のなり手不足」をどう考えるか?

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