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読むまちづくり

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#コミュニティ

人口の波とまちづくり組織の活性化の話

先日、まちづくり関係のお友達と話していて、おやじの会の話になった。おやじの会は東京では1986年に設立されたという組織だ。 1986年とは、1947年生まれの団塊世代が39歳と元気と体力があまりまくっているタイミングだ。1971年生まれの団塊ジュニアが15歳、ちょうど中学生になったころだ。よく聞くように、おやじの会は小学校でPTAをやっていたおやじたちが、子どもが中学に上がったあとも、地域で活動したいと考えて自主的に結成したというストーリーに合致する。 おやじの会はその後

自治会改革は行政改革から始まる〜あるいは「行政の地域依存/地域の行政依存」構造からの脱却

某自治体の職員研修で、自治会の改革、再編に関するレクチャーを依頼された。その内容をもとに再録する。 「自治会の改革、再編が必要」という主張は多いがコミュニティ政策の議論においては、しばしば自治会の弱体化が問題となる。この問題は、自治会の改革、再編が必要だという主張につながる場合が多い。しかし、果たして本当にそうなのだろうか。 前提として町内会に関する概論は以下の記事を参照されたい。 総務省 地域コミュニティに関する研究会、2022「地域コミュニティに関する研究会報告書」

まちづくりが「楽しくないとできない」時代はいつ始まったか?〜浅石裕司、吉村輝彦『「楽しさ」概念による「住民主体」の捉えなおし地域福祉・まちづくり分野における文献レビューをとおして』

よく知られる通り、従来の地域組織においては、どこでも担い手不足と高齢化が慢性化している一方で、子ども食堂などの新しい活動が出現し、地域で活動してもいる。 普段、従来の地域組織に関わっている立場からすれば「どうせ活動するんやったら子ども食堂もええけど、従来の組織に参加してくれてもええんちゃうの」と思いがちだ。しかし、そうはならない。ということは、なんらか理由、メカニズムがあるはずだ。 ではそのメカニズムとはなにか。そんな疑問にヒントを提供してくれる論文が、浅石裕司、吉村輝彦

「地域活性化は盆踊りのアップデート版」という仮説から、今日的な盆踊りの価値を考えた話。

盆踊り1.0と盆踊り2.0 まちづくりに詳しいお友達が「地域活性化は盆踊りのアップデート版だ」といっていて、なるほどもっともだなと思った。つまり「盆踊り2.0」だ。 この指摘で面白いなと思ったのは、「なぜアップデートが必要だったのか」つまり「なぜ盆踊り1.0ではダメだったのか」という問いに発展するからである。 この問いについて考える前に、盆踊りについて改めて概要をウィキペディアで見てみるとこう説明されている。 盆踊り2.0にあって1.0にないものまず形式としては、広場

気縁コミュニティと「自分を支持しない人と一緒にやる必要がない」という宣言文の効果について

「自分を支持しない人と一緒にやる必要がない」という宣言文を語るまちづくり組織の話こないだお友達とお話ししていて面白かったことで。 コロナ禍で町内会などの地域組織が活動を縮小したことはよく知られている。一方で、そんな状況であるにもかかわらず高いアクティビティを発揮して、頭角を現した活動も散見された。 で、お友達が指摘していて面白かったのは、そういった活動のリーダーがしばしば「自分を支持しない人と一緒にやる必要がない」というスタンスを取る傾向がある、ということであった。

住民参加のまちづくりにおける「主体性」ってなんだろうね、という話

「主体性が大事」とよく聞くけども住民参加のまちづくりにおいては市民の主体性が大事だということは一般論とし てよく聞く話である。ところがこの「主体性」とはなにか、というと、実は案外あいまいな用語だったりする。 その点を指摘している論文が竹内裕二「地域貢献型まちづくりにおける参加主体に関する一考察 市民主体のまちづくりアンケートを基にして」だ。 竹内さんは「“まちづくり”は、その地域に関わる人々が中心になって地域資源の維持管理を目的として活動しているところが多い。我々は、そ

コミュニティ政策における「中島みゆきの”糸”」問題〜個人を「点」と、ネットワークを「線」とたとえたとき、線の集積は「面」にたどり着くのか

こないだ学会の大会で、饗庭伸さんがコミュニティ行政を「点、線、面」のアナロジーで説明していてわかりやすかった。確か以前に、何かの雑誌、WIREDだっけ?で同じ趣旨のことを書いていたので、「出た!十八番!」という感じだった。

コロナ禍における市民活動の新設と展開プロセス 京都市伏見区醍醐地域MK氏の活動のケーススタディ

2023年7月2日に東京都市大学で実施されたコミュニティ政策学会大会で、「コロナ禍における市民活動の新設と展開プロセス 京都市伏見区醍醐地域MK氏の活動のケーススタディ」と題して報告をしました。ここではその報告の記録を記しておきます。 ※なお本報告は山田大地氏との共同報告。 研究の背景と目的コロナ禍で少なくない地域活動が活動を停止、縮小してきた。大体の調査を見ていて、全国的にそのような傾向があったことがわかっている。 そんな逆風の中、むしろ新規に活動を始め、さらに既存の地

「若者に優しい」まちとプチブル〜あるいは感情経済を回す感情労働の話

役者やミュージシャン志望の「若者に優しい」まちの、「やさしさ」とは何か京都で20年くらい小演劇というかお芝居の、本流と言うよりは端っこの方に関わってきた。大学のときの先輩が役者で、彼に頼まれて脚本を書いたり演出をしたり、時々音楽の操作なんかもしている程度だ。とはいえ、楽屋で他の演者さんとやりとりもするし、箱主の話も耳に入ってくる。 京都っていうのは若い役者志望者やミュージシャンに優しいまちだという。そもそもが学生の街で、大学の時からそういう表現活動を始めて、そのまままちに居

地域組織と社会教育の話〜あるいは人材不足が専制化の遠因の一つかも?説。

櫻井常矢. (2022). RMO の組織形成と地域政策—人材の発掘・育成の視点から—. 地域政策研究, 25(2), 57-72.を読みました。 RMOという言葉がある。地域運営組織(Region Management Organization)の略だそうで、その定義は総務省によると、「地域の暮らしを守るため、地域で暮らす人々が中心と なって形成され、地域内の様々な関係主体が参加する協議組織が定めた地域経営の指針に基づき、 地域課題の解決に向けた取組を持続的に実践する組織

「人生はゲームか?」という問いに、どう答えるのがゲームとして最も有利か問題。

古いお友達と久しぶりに話をする機会があって、最近はゲームの研究をしていると聞いた。ゲームは私も関心のあるテーマだったので面白かった。 そこで「人生はゲームだろうか?」という問いかけがあった。大変おもしろい問だと思った。 私の思うゲームの定義 さて、ゲームの定義を考える場合、広い意味での定義と、狭い意味での定義がありそうだ。

プラットフォームの多軸分散化のデメリット、あるいはそもそもプラットフォームとはなんなのか問題〜卯月盛夫他『まちづくりプラットフォーム ヒト・カネ・バショのデザイン』

 お友達が関わっているというので、卯月盛夫他『まちづくりプラットフォーム ヒト・カネ・バショのデザイン』萌文社 2022を読みました。  とても参考になったので、読後の気づきをシェアしておきたい。  本書のまちづくりへの貢献、あるいは私たちまちづくり支援者にとっての有用さは、大きく分けて三つあるように読んでいて思う。

「問題を定義する」ことでイノベーションが遅れるメカニズム、あるいは「まちづくりはイノベーションを求めていないのではないか?」問題について。

 先日、とある集まりでお友達としゃべっていて、なるほどと気付かされたことがある。  お友達は、「イノベーションを起こしたければ問題を定義してはいけない」という。

地域連携における「大学生」ではなく、「大学」の役割とは?という話

 こないだ、「学生が地域に関わることとはどういう意味を持つのか」みたいな話をお友達としていて。  以前も書いたけど、私自身、学生時代にまちづくり活動の盛んな地域のフィールドワークを経験させてもらい、貴重な学びをいただいた人間の一人である。  しかし、私が学生だった時代からもう20年も経っている。地域も学生も大学も変わりゆく中、学生が地域に関わる意義も変わっていくだろう。当時の感覚だけで現在を解釈しようとすることもまた乱暴だろう。アップデートが必要だ。  以前は、日本財団