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読むまちづくり

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#ハラスメント

「キャンセル・カルチャーって、よくないよね」という指摘自体キャンセル・カルチャーの片棒を担いでしまう問題

 オリンピックの報道でキャンセル・カルチャーって呼ばれるものが目立っていた。 個人や組織、思想などのある一側面や一要素だけを取り上げて問題視し、その存在すべてを否定するかのように非難すること。文化的なボイコットの一つ。  こういう動きに対し、「キャンセル・カルチャーってよくないよね」ってつい言いたくなるんだけど、そうすること自体もまた、キャンセル・カルチャーの一端を担ってしまうという自己矛盾に陥ってしまう。  これは「あなたそれハラスメントですよ」と指摘すること自体がハ

「いじめ社会契約」仮説

 オリンピックでも話題になった「いじめ」っていう現象がある。  これ、いつも興味深いなあと思うのが、まず言葉からして別のものが使われていることからもわかるように、なぜか犯罪とは、なんとなしに分けて考えられているんだね。  これを「いや、いじめだって、法律で裁かれるやないか」ということはできる。だけど、それはいじめの中のいくつかに、犯罪と定義されるものがある、ってことで。つまり、いじめのほうが犯罪より広い概念っぽいんだね。  例えば、子供がやるものはいじめ、大人がやるもの

「ワクチンを打つかどうか」を聞くことがワクハラ認定されるのは、どういう場合か

 ワクチンハラスメントっていうのがあるそうだ。これは、「ワクチンを打たない人への嫌がらせのこと」を指す言葉だとされる。  だけど、やっかいなのは、ほかのハラスメントと同様に、「嫌がらせ」の定義においてハラスメントをする側とされる側との間で違いがあるってことなんだ。  例えば、おそらく問う側はおよそ嫌がらせだと思っていないであろう、「あなたはワクチンを打つの?」と聞くこと自体、問われる側からすれば、余裕でワクハラっすよ、って認知する場合があるわけだね。  同様に、例えば「

「連携ファンタジー」はなぜ生じるのかって話。

 時々思うんだけど、どうも世の中には「異なる団体が連携さえすれば、何事もうまく行くはず」というふわっとした期待があるようで、それを僕は「連携ファンタジー」と呼んでいて。  「異なる団体が垣根を超えて協力すると、良いことがおこる」という理屈って、よくよく考えると自明ではないんだけど、なぜか信じられている。  当たり前だけど、そもそも価値観も目的も異なるから別団体になるんであって、その二つが集まると当然すれちがいも軋轢も生まれるだろう。だから、クラピカさんなんかは「拙い連携は

人はなぜ「アイ・メッセージ」を偽装した「亜イ・メッセージ」を騙ってしまうのか。

 面白い記事を読みまして。 例えば「あなたは私の話を聞いていない」ではなく、「私はあなたが聞いてくれないと感じている」と、自分を主語にして話すこと。 そうすると、自分も冷静になれます。感情的にならず優しく、事実=ファクトをもとに「目の前のふたりの問題を、どうやって解決していこうか」というスタンスですね 。  「亜・アイメッセージ」と私が呼んでいる一連の言い回しっていうのがありまして。この記事で紹介されているものがそれだなあと。  まず、「私はあなたが聞いてくれないと感じ

権力格差はコストの押しつけを可能とするってはなし。

 よく「強い者は弱い者から奪う」っていいますけど、奪うだけでなく、「押し付ける」の方が実態に近い場合もあるんすね。コストを移転するんです。  例えば、何かを決める時、会ってお話ししましょうとなったとしますね。で、その相手が、目上の権力者であるとして、あなたはその人を自宅に呼びつけるでしょうか。多分、呼びつけはしないだろうと思います。むしろ、あなたの方から、「私からご自宅に伺わせていただきます」となるんじゃないですかね。  これ、会っておしゃべりするのにかかるコストがあると

水質に問題はなくても、パイプが腐っていると、水は飲んでもらえない。

 僕の住んでいる京都市には、こんな商品がありまして。  京都市が技術の粋を集めて作った水道水を缶に詰めて腐らないようにしたので、備蓄飲料としてご自宅にどうぞ、というわけです。これは災害対策であると同時に、京都市の水道事業のプロモーションでもあるわけです。  京都に限らず、日本の水道水は生でも飲める、みたいなことをよく聞きます。それでもちょっと不安だから、やっぱり沸かして飲んでます、みたいなこともまた聞きます。この不思議な矛盾は一体なんだろうと。  思うに「京都市の水道水

いきなりAmazonやAppleのような胴元にはなれない。

 僕はまちづくりに関わる仕事をしているんすけど、地域団体の、街の縁側とかサードプレイスとかコミュニティカフェとか、なんしか人の集まる場づくりへの欲望をよく見るんすね。で、そういう人の集まる場の主になることへの欲望って、僕も憧れがあるからよく分かるんすよ。だからついその欲望に身を委ねたくなる。しかし、それが必ずしも願った結末に至らない、むしろより悪い自体を招く場合もあって。  そういう欲望を行動に移す前に、まず一回「ゴッホの黄色い家」のエピソードを思い出してほしいんすね。

「あなたの言葉で心が傷ついた」っていう現象がいかに厄介かって話。

 面白い記事を見ましてね。  のぶみ『ママがおばけになっちゃった!』の内容が、子供の心を傷つけると。で、それに対する批判を本人にぶつけると「その言葉に僕が傷ついてるんすけど、そこんとこどうなんすか?」という「ごもっとも」な返しが来てしまうというんですね。  この「他人の言葉や表現に心が傷つく」って現象、すげー厄介だと僕は思っていて。  どう厄介かというとですね。まあこういう場合、極論で説明するのがわかりやすいと思うので、極論で説明するとですね。  例えば、僕が言われる