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読むまちづくり

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#権力

「頭を下げてお願いする」ことの大事さ〜あるいは権力で命令する組織の特殊さ

権力は取引コストを節約するが濫用リスクもはらむこないだ人とお話をしていて、改めて「権力」について考える場面があった。権力とは、ウェーバーは「他人の意思を曲げてでも自分の意思を貫く力」のことである。例えば、よく映画なんかで見る、軍隊で上官が部下に「これは命令だ」といって部下の意見を押し返すやつは、わかりやすい権力だ。

「当事者がふらっと寄れる」コミュニティスペースが成り立ちにくいのは、サービス提供者や利用者の資本が不足してるから説。

しんどい立場の当事者が、ふらっと、なんとなくついでに立ち寄れるようなコミュニティを作りたい、というよく聞く動機 ここ数日、「ひとり親や、引きこもり児童あるいは不登校児童のケアラーのための居場所づくりをしたい」というような話を続けて聞くことがあった。こういった、そういうしんどい立場の当事者が、ふらっと、なんとなくついでに立ち寄れるようなコミュニティを作りたい、というのは、まちづくり活動においてはよく聞く、定番の動機であるようだ。 長年この仕事をしているので、そういったお気持ち

「発話量の公平性が担保されていること」は一体何のシグナルとして利用されていたのか

 「参加者の発話量が均等であること」が、集団の心理的安全感の向上において重要な要素だっていうのがGoogleが自社の社員チームを題材に行った調査でわかった、ってのがけっこう前にニュースになって、一部で話題になってた。  例えばまちづくりなんかでは、思想や背景の違い人同士が対話をしたりチームを組んだりすることを促す場面が仕事でしばしばあって、そこで実践的に応用できる知恵として僕らなんかも重宝した。  さて、この参加者の発話量の均等化は何によって可能になるのだろう。例えば、参

路線図という歌詞カードを眺めながら、交通システムの刻むドープなリズムに乗って、移動という名のイルなリリックを口ずさむ。

 しばらくずっと、旅行の楽しみ方がよくわからなくて、でも旅行したいっつって、ヤキモキしていたのだが、最近ヒントになりそうな体験を得た。  聞くところによると、タモリさんは「笑っていいとも!」の楽屋で路線図を眺めるのを楽しみにしていたという。毎日アルタに詰めねばならない身として、路線図で「行けない旅行」を想像していたのだろうか、などと、そのエピソードを聞いた当時は考えていた。  しかし、どうも違う。路線図とは、それ自体楽しいものらしいのだ。信頼と実績のデイリーポータルZにも

ワクチンを受けたい人と、受けたくない人の割合の話

 こないだ、お友達と話していて、なるほどと思ったんだけど、その人の周りのお友達には「ワクチンは受けません」と明言している人が結構いるんだそうで、へー、と思った。  そこでへーと思うっていうのは、なんか、ニュースとか見てたら、ワクチン受けたい人が殺到してる話ばかり目につくから、「みんな受けたいと思っているもんだ」と私の中に錯覚があったのかもしれない。そりゃ受けないって人もいるよな。  こんな調査があるみたい。オンラインによるアンケート調査で、全国の18歳以上の男女1605人

地域社会のオンライン化が進まない、ITリテラシーの低さ以外の理由を考える

 ボヤキみたいな話なんですけどね。  この半年くらい、不思議だなあと思っていたことだけど、疫病が流行って非集化し、地域の対話の場が運営できなくなった際、「じゃあやめとこう」という判断がなされるケースがしばしばあったことで。  それまで「地域の対話は大事だよね」みたいな建前を語っていた地域団体が、案外するっと「じゃあやめとこう」といえてしまうのはなんでだろうなって、当時は思っていたんですよね。もし本当に大事なら「オンライン化してでも書面化してでも、なんとしてでもやろう」とな

心のこもった言葉には人を感動させるパワーがあるって話。

 当たり前みたいなことをいうけども「心のこもった言葉は人を感動させる」んですよね。  さっき、道で私の前を歩いていた人が、スマホ見ながら歩いてて、すれ違いざまにおっさんとぶつかりそうになって。おっさんはその人を振り返りながら悪態をついたんだけど、それが私がすれ違いざまに放たれたものだから耳に入って。私に向かって放たれた言葉ではないが、私がちょうど耳にするタイミングになっちゃったわけだね。  で、この言葉、心がこもっていたのだろう、感動したね。感動というのは、感情が動く、と

僕らはなぜ忖度をするのか − 山本七平『空気の研究』文春文庫、1983

 私たちの日常会話には、「空気を読む」という表現はしばしば現れます。この「空気」というものは一体なんなのだろう?色んな論者が様々な言い方で説明していますが、中でも古典である山本七平『空気の研究』を改めて読み直して、なるほどと思ったので覚書しておこうと思います。  同書では、イスラエルの古代墓地の人骨を掘り返した時、その人骨を前にして、けろっとしたままのユダヤ人と、なぜか病気になる日本人のエピソードが対比的に描かれています。日本人は、その人骨に対して、「潜在的な何か」を読み取

社会維持の費用を誰かに押し付けることを正当化するための方便としての「正義」説。

 面白い記事を読みまして。 新型コロナウイルス禍に現れたいわゆる「マスク警察」「自粛警察」現象は、人間の攻撃性を顕在化させた。  「人を傷つける心―攻撃性の社会心理学」(サイエンス社)などの著書がある大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学、現・放送大学宮城学習センター所長)によると、「災害や犯罪などによって社会不安が高まると、それに伴い人々の間で生じる不快感情が攻撃性に転化されやすくなる」という。  もともと他の集団や民族に対して敵対的な、あるいはマイノリティーに対して差別

権力格差はコストの押しつけを可能とするってはなし。

 よく「強い者は弱い者から奪う」っていいますけど、奪うだけでなく、「押し付ける」の方が実態に近い場合もあるんすね。コストを移転するんです。  例えば、何かを決める時、会ってお話ししましょうとなったとしますね。で、その相手が、目上の権力者であるとして、あなたはその人を自宅に呼びつけるでしょうか。多分、呼びつけはしないだろうと思います。むしろ、あなたの方から、「私からご自宅に伺わせていただきます」となるんじゃないですかね。  これ、会っておしゃべりするのにかかるコストがあると

人間関係を「空気」に、人の心を「水」に例えると、どっちも絶縁体なんだよねっていう話。

 人間集団でしばしば起こるトラブルに、「わし聞いてへんぞ」問題っていうのがあります。おそらくみなさんも一度は体験したことがあると思うのですが、主催者がステークホルダーだと思っていなかった人が、実はステークホルダーとしての自己認識を持っていて、自分の決済を要求してくるというものです。  この「聞いてへんぞ」プレイ、ありふれたものではありますが、成り立つにも条件があって。誰でもできるプレイではないんですね。  まず前提として、「情報は自然と広く伝わるものだ」という錯覚があるん

「集まる」という力について〜都市というものは権力によって作られるし、また、人々は権力にジョインするために都市に集まる、という話。

 これまで私たちは、様々な問題を「集める」という方法で解決するということを行ってきました。人を集めて何かをする、というのは、パワフルかつイージーな手段だったからです。しかし、疫病の流行は、この「集める」という方法を一定難しくしたように思います。そのように、問題の解決に「集める」という手段を安易に選べない状況を、僕はこれまで「非集」と呼んで考察してきました。  非集化した社会は、「集めることで有利になる人々」にとってはディストピアだったでしょうけど、一方で「いやいや集まらされ

ボランティア活動を「自発的活動」と説明するのは、誰にとってどのように便利なのか?

 ボランティアというのは、よく知られるように「志願兵」を語源とする言葉で、転じて辞書的には「自発的に社会活動に参加すること」を意味するようになった。例えば住民参加のまちづくり活動なんかは、多くのボランティア活動に依存して成り立っている。  一方で、この「自発的活動」という正確は、しばしば無報酬労働に読み変えられてしまってきた。ボランティアという概念が安価な労働力を調達するためのロジックとして使われてしまうわけだ。  かと思えば、「有償ボランティア」という言葉もある。お金を