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読むまちづくり

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#市民参加

社会福祉士の皆さまとソーシャルアクションについて考えた話

社会福祉士の勉強会にお招きいただいた先日、縁あって社会福祉士の皆さまの勉強会にお招きいただき、講師を勤めることになった。テーマは「ソーシャルアクション」であるという。 「釈迦に説法」ということわざがあるが、ソーシャルアクションというのは、社会福祉士の試験科目に出てくるような専門用語で、私はソーシャルワーク、社会福祉理論は専門外だ。つまりこれは門外漢である私が釈迦に説法を頼まれるという状態だ。 しかし、改めて調べてみると、「新しい知識を提供する」「詳しく説明する」というよ

「市民が自治体の課題を自分ごとと捉えていない」のと同じように、「自治体も市民の課題を他人ごとと捉えている」のかもしれない説

まちづくりにおいて市民参加が必要だと言われて久しいが、その参加型手法も日々進歩しているようである。 参考になるものとして、片田江 由佳『持続可能な地域づくりに向けた市民起点の共創活動「リビングラボ」の導入に関する考察―福岡地域戦略推進協議会による取組事例をケースに ―』を紹介する。 「リビングラボ(Living Lab)」という概念があるそうである。論者によって定義が微妙に異なるそうであるが、もっぱらリビングラボは、市民や利用者を巻き込みながら製品・サービスを開発するオー

「遠慮がち」な人が集まった画一的な空間に、案外多様性が花開くのかもしれないねという話

「縁的空間」であり「都市の余白」としての「商業施設ロビー」こないだ、お友達から教えてもらって、へえなるほど、と思ったことで。 とある商業施設のロビー空間が、中高生の放課後のたまり場になっているんだって。そこで彼らは、思い思いに食事をしたり、ゲームをしたり、勉強をしたりしている。もちろん、ロビー空間はいわば単なる「空き地」なので、そういう使途を目的に設置されているものではない。そもそも彼らが滞在する事それ自体は商業施設にとっては一銭も儲けにつながるはなしではない。ただ、追い出

ボランティアは市場取引であり効用を生む消費とは本来別だが、取引自体が快楽を生む消費行為ならどうか、問題

ちょっと前の話になるが、とあるシンポジウムに登壇した。そこで話をしていて連想したことをメモしておきたい。 市場経済ではタイムイズマネーなのでボランティアはともすれば機会コストがかかって損になる 地域のまちづくり活動は市民の有志によるボランティア活動っていうものに依存している。例えば「学生がボランティアで高齢者にスマホを教える」みたいな話が典型的だ。 さて、このようなボランティア活動を眺めた時、抽象的な問題が浮かび上がる。ご存知の通り私たちは資本主義経済の中に生きているわけ

「都市の余白」を供給する、ローカルなプチブルによるエリート統治、としてのまちづくりの話

まちづくり=まち(の人なら誰でも使える公共財)づくり説私はこれまで、まちづくりを「まち(の人なら誰でも使える公共財)づくり」の略であるという定義を採用し、まちづくり活動をする上で生じる様々な楽しさや喜び、可能性、あるいは困りや悩み、限界といった現象のメカニズムを説明してきた。 詳しくは拙著「モテるまちづくり」シリーズに詳しい。キンドルアンリミテッドで無料で公開している。 私の友人が書いてくれたとても詳しい解説があるのでそちらも参考になる。 さて、私はこのように、まちづく

ボランティアへの動機はどんな学習から発生するのか、という話

三谷はるよ. (2013). 市民参加は学習の帰結か?―ボランティア行動の社会化プロセス―. ノンプロフィット・レビュー, 13(2), 37-46.を読みました。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/janpora/13/2/13_37/_pdf/-char/ja 住民参加のまちづくりがボランティア活動に強く依存していることはよく知られているが、そのボランティアをする、しないを何がわけるのか、ということに関しては、あまり現場レベルでも

組織を組織たらしめるものとは「学習しない」硬直性であり、そうであるがゆえに巨大化可能で、政治的ステークホルダーになれるのかもしれないね説。

藤原祥太郎. "地域開発をめぐる諸団体の論理とその動態分析-京都市崇仁地区をケーススタディとして." eJournal of Urban Management/Creative Cities 17.1 (2022).を読みました。面白かったです。 なるほど、江戸幕府っぽい。各藩の自治が基本で、よそのことには口を出さない。翻って、自治が強く統治機構が弱いということでもあり。 なるほど、このような地域のステークホルダーを「学習しない組織」の特徴 で説明するのか。 「学習する

市民参加に込められた願いの一つは、「連帯能力」という希少資源を有さない個人にも政治参加の機会を再配分しようとしたこと

 僕がお仕事で関わっている「ソフトのまちづくり」っていうのは、人類の協力行動の高度な一種であると説明できて。つまり、バラバラだったり、裏切りが横行していると成立しない、連帯の賜物なんですね。  連帯は大きな力を生みます。例えば、一人ひとりでは大した力を持たない普通の人々でも、沢山集まってデモ行進をしたり、不買運動をしたりすると、政治家や企業といった有力者も無視できなくなるわけです。これが連帯の力です。お魚が集まって巨大な生き物のような姿をとって、捕食者に対して威嚇するってい

「専門家が独善的に進めるとセンスのいいものが手早くできるけど、市民参加型にするとそうならないけどどうしたらいいのか」問題について。

 こないだ、講座でご一緒したゲストの方が話していたことで面白かったことだけど。それは「プロジェクトは、専門家が独善的に進めるとセンスのいいものが手早くできるけど、市民参加型にするとそうならないけどどうしたらいいのか」問題ってやつで。  市民参加論的な王道の回答は「みんなで話し合っていきましょう」なんよね。それはその通り。だけども、そもそも上のような問いが出てくるってことは、「その話し合いで進めるのにかかるコストとリスクをプロジェクトとして許容しにくい」という状況があるってこ

「ソフトなまちづくり」の「ハードな工学」の話。

 先日、某・建設コンサルタント会社の新入社員研修で話題提供しました。主に橋梁や道路といったハードの建設を得意とされる会社だそうで、そのため社員も工学屋さんが多いそうなのです。しかし、これからの建設コンサルは、地域住民との参加や協働といった「ソフトのまちづくり」も知っていなければならない、ということを、新入社員には伝えたい!というご依頼で、白羽の矢が立った次第です。  さて、ハード系まちづくりは、橋梁や道路といった、具体的な成果物が目に見えるので、何がどうなれば成功か、わかり