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秘密日記

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2022年10月の記事一覧

公共の空間で騒がないのが親切として機能するという話

 僕らは集中や没頭と呼ばれる状態に快楽を覚えるようにどうもできているようである。例えば音楽や読書、あるいは仕事に没頭していると、その時間は心地よいものと認識されたりする。  一方で、僕らは日々、ノイズにさらされて生きている。ノイズとは雑音、つまり基本的に集中を妨げるものというのが一般的な理解で、むしろ集中を促すものはホワイトノイズと例外的に呼ばれて好まれていたりする。逆に、全く無音の空間だと逆に落ち着かず、集中できない、なんてこともあるらしい。  ノイズだからだめなんでな

「清潔感がある」とは「ノイズ量が少ない状態のこと」なんじゃないか説。

 認知流調整って言葉がある。いわゆる「わかりやすさ」のことだ。例えばわかりやすいチラシとか、わかりやすい説明とか、あるじゃない。あれだ。  たどたどしくしゃべられるより、スラスラをしゃべられるほうが聞いていて気持ちがいい、なんていうのは、うまい落語家とかラッパーとか見ていても感じるのは多くの人が覚えがある経験だろう。  で、面白いことに、人間は認知流調整の高いものを好ましいと思うだけでなく、真実である、善いことであると思ったりする傾向があるそうだ。確か池谷裕二だったか「脳

身体が近くにいることで生じる「ついで」の効果〜東畑開人『聞く技術 聞いてもらう技術 』・小川 さやか『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』

 ここ最近、私はあまり元気がなかったのだけど、ちょっと散歩した先でなにかイベントをやっているのを見かけて、近づいてみたら、そこで古い知人とばったり出会って、「あらータニさんじゃないですか、奇遇ですねー」みたいなところから3分くらい立ち話があった。その時間を経て、なんだか自分の中の元気の無さが薄れていたのが印象的だった。  多分、ここ最近の自分の元気の少なさは、FOMOの一種みたいなものじゃないかと薄々思っていて。しかし冷静に考えれば、その感覚でさえ幻みたいな、まあ要するに想

自分がやってきた仕事とは「情報通信と情報処理」だったっていう話〜あるいはメール一本返すだけでもきっちりやれるのは立派なことだと思うよ、という話。

 ここ20年くらい、ありがたいことに継続してお仕事をさせていただいてきて、ふと、「自分のしてきた仕事って、どのように説明できるものだったんだろう?」と考えた。  で、具体的な作業の部分を見ていって、自分がやってきたことは「情報通信と情報処理」だって説明できそうだと思った。

僕らは「人生100年修行時代」を生きている説〜VUCAな時代を生きるための、優しさと謙虚さの話。

 とある、私がよく見てるユーチューバーさんがVlogで、「下北沢は修行時代に住んでいたまちだ」と言っていて、ああ、いい言葉だなと思ったんですね。

ワクワクする動機とは、「問いの形式を伴った妄想」なのじゃないか説

 動機について考えた。ワクワクする、とは、曖昧な気持ちではなく、「あれ?もしかして、こうすると面白くなるのでは?」というような「問いの形式を伴った妄想」なのじゃないかと思う。

旅日記。琵琶湖ビエンナーレに行ってきました。

 琵琶湖ビエンナーレに行ってきました。面白かったです。  今回は弾丸で行ったので、近江八幡会場しか見れなかったのだけど、かなり早足で見て回ってそれでも4時間くらいしっかりかかった。なので、沖島とか彦根とかの別会場まで回ろうとすると、どこかで一泊したほうがいいかもしれない。それくらいボリューミー、贅沢な内容と思いました。  都市型芸術祭って、自治体や民間企業、あるいはそれらの合同する実行委員会のような形態で実施される物をよく見るけども、琵琶湖ビエンナーレは、行政や民間企業に

旅日記。「あいち2022」に行ってきました

 ちょっと前のことですが、「あいち2022」に行ってきました。面白かったです。会期が終わったとのことなので備忘的に書いておこうかな。

「定型発達者のあなたが飛び跳ね”ない”理由」とは?〜東田 直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』

 東田 直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』角川文庫を知り合いが勧めていたので読みました。面白かったです。  本書は、Amazonでの解説によるとこうである。  本書では、自閉症当事者とされる著者が、定型発達者から見て不思議に思える自閉症者の特徴的な行動に対して、当事者の立場から言語化して説明している。なので節タイトルも、例えば「どうして飛び跳ねるのですか?」とか「どうして人の目を見て話さないのですか?」というような質問形で書かれている。  例えば人の目を見て話さないのは

ビジネスに限らず大抵のパーソンにとって必要なのは「環境との適応を妨げるほどの過度な感情のマネジメント」なのかもしれない〜安宅和人『イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」』

 安宅和人『イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」』を読みました。面白かったです。

「寄生獣」の浦上に対する村野の意見〜品田 遊『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』2021、イースト・プレス

 品田 遊『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』2021、イースト・プレスを読みました。面白かったです。  オモコロのライターとして知られるダ・ヴィンチ・恐山こと品田遊が反出生主義をテーマに書いた小説。人類を滅ぼす力を持つ魔王が、人類を滅ぼすべきか、人類の代表10人に話し合わせる、という対話劇。そしてその10人の中に、反出生主義者がいて・・・という話。  反出生主義というのは、古代ギリシャの時代から割と繰り返されてきた言説、というか、「パンクな叫び」としてあった

「縁が君を導くだろう」〜ターリ シャーロット (著), 上原 直子 (翻訳)『事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学』白楊社、2019

 ターリ シャーロット (著), 上原 直子 (翻訳)『事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学』白楊社、2019読みました。面白かったです。  最近でも話題だったワクチンを打つかどうかみたいな話でもそうであったように、ワクチンの有効性にしても害毒にしても、事実は人の意見を変えない。 これはなぜなのか、というお題を切り口に、行動経済学や社会心理学の知見が示されるわけだけど、端的には、人間の頭がそういう風に作られてないからだ。  むしろ、下手にデータを与

人生は舞台だというけど、それなら新喜劇ばりのお笑い演芸のように生きてええんとちゃうか

 私くらいの世代には、よくいわれる言い回しで、「関西の人間は毎週土曜日に新喜劇を見て育つので、お笑いに慣れている」というようなものがあるんすね。今の若い人にもそうなのかどうかはしらんけど、私の世代くらいにはまだ通用するコモンセンスだった。  その言い回しが拡大解釈されて、関西の人間は舌が肥えているのでお笑いに厳しいとか、ギャグが面白いとか、日常会話の中でも芸人ぶるまいをするとか言われるような風潮もそういえばあった。  ただ、野球番組を見ていれば鋭い玉が投げられるようになる

人生は体験学習らしいという話

 以前、お友達が私の人生のテーマを「体験学習」だと表現していて、なるほどと思ったことがある。人生のあらゆる体験は、体験学習である、という考えは割と好きで。「一回やっておこう」みたいな。  以前も書いたけど、私は30歳を超えたあたりで「人生、余生に入った」と感じたことがある。それは、その時点までの人生で体験したいことは一通り体験させてもらった、と、心底感じたからで。ありがたいことに。