見出し画像

「腐って大地に還るクラス」の複雑な気持ち − 渡邉格『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』講談社、2013

 著者の渡邉格氏は、鳥取県智頭町にて地域内循環を目指し、自家製天然酵母と国産小麦を使うパン屋「タルマーリー」のオーナーシェフである。タルマーリーのパンは、平均一個400円くらいと高額、しかも月、火、水、木はおやすみ。時々、月単位の長期休暇もとる。一般的なパン屋と比べると、かなり特殊に見える。

 なんでこんなことをしているかというと、彼はこのパン屋をマルクスのいうところの「革命のための武器」であると考えているためだ。彼はマルクスの経済理論から以下のように説明する。

 商品には三つの性質が備わっている。「1:使用価値があること」、「2:労働によって作り出されていること」、「3:交換されること」(39)である。商品を交換する際は、それぞれの商品の価値を比べる必要がある。ところが、異なる種類の商品の価値を比べるのは難しい。じゃあどうしたらいいか。マルクスを参考にしつつ、本書ではこう解説される。

<パンの美味しさや満腹感と、服の着心地のよさを比較する?でも、どうやって?答えは「労働」の大きさ、つまり「労働時間」だ。交換の当事者は、「労働時間」の長さを基準にして、「交換価値」を測っていると、マルクスは考えた。(略)要するに、平均的な力量を基準にして、「労働時間」が推測され、「交換価値」が決まる。そして、このようにして決まる「交換価値」の大きさを、おカネの尺度で表現したものが「商品」の「価格」なのだ>(40−41)。

 つまり、作るのにかかった労働時間が交換価値を決めるとマルクスは仮定したというわけだ。

 さて、商品1つあたりを作るのにかかる労働時間は「技術革新」によって短くすることができる。例えば昔なら遠くにいる人に連絡を取るのに手紙を書いて送って…というように手間と時間がかかっていたが、技術革新が起こって電子メールやSNSを使って一瞬でやりとりできる。技術革新によって、商品一つあたりを作るのにかかる時間は短くなる。すると、労働者は同じ給料なのに、短い労働時間で生活ができるようになる!すばらしい!

 …という状況は、電通などのブラック企業の例を引くまでもなく、現実には生じていないということを、我々は知っている。なぜだろう?

 例えばパンづくりでいえば、イースト菌が開発されたことで、熟練した技術がない人でも、手軽に、パンの発酵を安定させて行うことができるようになった。パン作りにかかる時間は大幅に短縮された。まさに技術革新だ。にもかかわらず、世の中の労働者は楽ではない。

<「商品」の「価格」は、「交換価値」によって決まった。要は、「労働時間」だ。技術革新の前と後で、1時間あたりにつくれるパンの量が2倍になったということは、パン1個あたりの「交換価値」は半分になっているはず。だから、技術革新後の正しいパンの「価格」は、技術革新前の半分の50円になっていなければいけない。(略)ところが、ある条件のもとでは、技術革新後も、それ以前と変わらない「価格」で「商品」を売ることができる。それは、新しく開発された技術を、限られた特定の資本家だけが使っている、という条件だ。(略)ひとり先んじて「技術革新」に成功したパン屋は、技術革新前の「価格」のまま、パンを売ることができ、結果、大きな「利潤」を手にすることができるわけだ。(略)新しい技術を手にした資本家は、より多くのシェアを得ようとして、少し「価格」を下げて攻勢をかける(略)ライバル資本家は、太刀打ちできなければ淘汰されてしまう。必死で食らいついて、同じ技術レベルに追いついたとすると、今度は反撃のために、「価格」をさらに下げるかもしれない。(略)その結果、「商品」はやがて「交換価値」どおりに売られるようになり、「利潤」は技術革新前の状態に戻っていく。(略)「商品」の「価格」が安くなれば、生活費も養育費も(場合によっては技術習得費も)安くなる。その結果訪れるのは、「労働力」の「交換価値」の低下だ。「商品」の「価格」が下がることで、まわりまわって給料までもが下がってしまう。>(55−62)


 この競争の結果、資本家による搾取が発生する。だから、労働者はいつまでたっても楽にはならない。このマルクスが暴露した社会状況に対し「革命」を考える著者は、このパン屋を通じてどうしようというのか。彼はこう考える。


<本来、天然の「菌」はリトマス試験紙のように、「腐敗」させるか「発酵」させるか、素材の善し悪しを見分ける役割を果たしている。
 素材が人間の生命を育む力を備えている場合、「菌」は素材を、人間を喜ばせるパンやワインやビールのような食べものへと変えている。(略)一方で、生命を育む力を持たない食材は、食べないほうがいいよと人間に知らせるために、無残な姿へと変える。(略)けれども、イーストのように人工的に培養された菌は、本来「腐敗」して土へと還るべきものをも、無理やり食べものへと変えてしまう。(略)この「腐らない」食べものが、「食」の値段を下げ、「職」をも安くする。さらに、「安い食」は「食」の安全の犠牲のうえに、「使用価値」を偽装して、「食」のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。
 そしてもうひとつ。次官による変化の摂理から外れたものがある。それが、おカネだ。
 おカネは、時間が経っても土へと還らない。いわば、永遠に「腐らない」。それどころか、投資によって得られる「利潤」や、おカネの貸し借り(金融)による利子によって、どこまでも増えていく性質さえある。>(73−74)


 つまり彼は、貨幣にしろ、イースト菌にしろ、「腐らない」という「不自然」が元凶であると考えた。だからこそ、貨幣やイースト菌の普及した「腐らない」社会にあっては、むしろ非効率に見えるような、「腐る」経済に敢えて賭ける。

<僕ら「田舎のパン屋」が目指すべきことはシンプルだ。食と職の豊かさや喜びを守り、高めていくこと、そのために、非効率であっても手間と人手をかけて丁寧にパンをつくり、「利潤」と決別すること。それが、「腐らない」おカネが生み出す資本主義経済の矛盾を乗り越える道だと、僕は考えた。>(78)

 「腐らない」ものを避けるわけだから、彼らのパンは賞味期限は長くはない。また、素材もそういう目線で選ぶので、遠方に在るものは使えないし、遠方に売りに出すことも難しい。結果、自ずから、地産地消のスタイルになっていく。

 そして資本家として搾取をしないと決断するならば、職人の技術が向上することで生じる利益は労働者に分配することになる。技術革新によってたくさん作れるようになったから、沢山売りましょう、ということにはならない。高いパンを、それを買うことが出来る地域の人たちに売っていくことになる。

 まさに、まちづくり的、ローカルビジネス的なモデルとして、とても魅力的な思想財として本書は在る。

 一方で懸念も在る。こないだも書いたど、こういう動きは、ロマンがあるので、我々はついこういったローカルビジネスを先駆的なモデルケースに位置づけたくなる。

 とりわけ、まちづくりとかいったキーワード界隈に居る人ほどそうかもしれない。しかし、この人の話を見ていてもそうだけど、どうも既存のメリトクラシーが脱臼してきた現在の社会における、クリエイティブクラスの自主的な緊急避難としての印象が強い。著者略歴を見ても、大学教授の父を持ち、千葉大農学部を経て、マルクスを引用しながら自身の活動を説明できるくらいのインテリクラスであり、現在の彼の活動を支える「400円のパンをルーチンで買う人たち」というのも、結構裕福なクラスだと思う。

 イースト菌とか貨幣経済といったものが達成したのは、「そういうクラスではない人々にも、安く美味しいパンが食べられるようにする」という理想だったんじゃないか。アントワネット的に「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言われてしまっていた飢えた人々にも、パンが届くようになったのは、こういうシステムの成果だったんじゃなかろうか。

 無論、それはもしかすると、著者も指摘するように、実は身体に良くない成分があったり、のちのち人々を蝕む要素がなかった、とは言わない。しかし、彼の運動が一部のハードコアなものとして憧れるのを超えて、「誰しもが通れる道」あるいは「こうであるべき理想」と一足飛びに思うのは、危ういなあと思うのだ。

 なぜそう思うかというと、「腐る」経済では、もしかすると「腐って死んでしまっていた」ようなクラスの人たちにも生きる道を開いたのが「腐らない」経済であったとするなら、「自分はどっちのクラスだろうか?」と怖くなるからだ。

 特に大した知識もネットワークもない我々は、自然に任せれば「腐って大地に還る」クラスだった、ってことになるかもしれない。それはそれで大丈夫なのだろうか。お金は腐らないから、在るところから無いところへ貸し借りすることができる。税金として集めて、再配分することもできる。腐らないパンは保存食として貧しい人々、貧しい地域に分配できる。しかし、腐るパン、腐る技術にそれは簡単ではない。腐るのが「自然」だというのは同意だが、それが翻って、人権や福祉国家という、20世紀の理想自体がそもそも「不自然」だ、ということをあわせ含んでしまいやしないか。そんな懸念が脳裏をかすめる。いやさ、21世紀の新自由主義は、もしかしたらそういう適者生存のコンセプトなのかもしれないけれども。あるいはこんな懸念自体、「腐らない経済」に飼いならされた人間の妄想なのだろうか。

 まあ、だいたいこういう答えのない考えは「考え過ぎ」の症状である。前述のような懸念を差し引いても、彼の示す「腐る経済」のコンセプトは魅力的であるし、現に地域で行われる様々なまちづくり活動にとって大きな参考になる。彼の哲学的実践が、どこまで突き抜け、我々に新しい地平を啓いてくれるのか。それを確かめたい。百聞は一見にしかず。とりあえず、今度タルマーリーにパンを食べに行こうと思う。

ここから先は

0字
まちづくり絡みの記事をまとめたマガジン「読むまちづくり」。 月額課金ではなく、買い切りです。なので、一度購入すると、過去アップされたものも、これからアップされる未来のものも、全部読めるのでお得です。

まちづくり絡みの話をまとめています。随時更新。

サポートされると小躍りするくらい嬉しいです。