きれいのくに(SMAP そして 稲垣吾郎)

きれいのくに高校生編では、主人公たちの親世代(第二次ベビーブーム世代の少しあと、かな?)の多くが「みんながやっているから」という理由で「稲垣吾郎」と「加藤ローサ」の顔に整形している。

チーム轟をはじめとして、街中ではポスターや看板に「吾郎顔」が溢れ、自分の親も、友達の親も、映画監督も、担任の先生も、パパ活の相手も、道行くサラリーマンも、酔っ払いまでもが、みな吾郎顔をしている。彼らは「みんなと同じクオリティである」ことに安心し、かつ「高品質だがそんなに目立たない」ことに安心しているのだろう。

吾郎さんがSMAPの一員で、SMAPが「世界に一つだけの花」を歌ったグループであることは、視聴者であるわたしたちのおそらくほぼ全員が知っている、いわゆる「周知の事実」である。

♪ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン♪

「もともと特別なオンリーワン」だからこそ、顔が同じでも大丈夫、ということなのだろうか。我々視聴者側の世界の文脈を考えた時、男性側のトレンド顔に稲垣吾郎を選んだ加藤拓也氏のセンスには痺れる。

片やSMAPは「君は君だよ、だから誰かの真似なんかをしなくてもいいよ」とも歌っている。SMAPのメンバーはみなそれぞれ優れて個性的だ。彼らは歌がそこまで上手いわけではなく、メンバーそれぞれに「苦手」な分野があって、自然体で親しみやすいイメージがある。けれどもまた、実は彼らがひとりひとり顔面偏差値が「ものすごく」高く、プロ意識が恐ろしく高く、芸能界のさまざまな分野で「一流」と言われるひとたちと肩を並べられるほどの強み(司会力、演技力、カリスマ性、etc.)を持っている「超一流」のエンターテイナーであるという点もまた事実である。

そんな中での「稲垣吾郎」の立ち位置はまた特殊だ。SMAP5人でいる時は「中間管理職」と呼ばれ、よく「オチ」に使われるキャラを演じていた。若い時は「ミステリアス」と言われたり、へタレキャラ(争いを好まないキャラ)を強調したりもしていた吾郎さんは、5人の中ではいろんな意味で「一番目立たない、主張しない」位置にいたようにも思う(個人的にはメンバー5人の中で「実際に」会った時にその度肝を抜くかっこよさに一番驚いたのが吾郎さんなのだが、SMAP5人に関する色んなランキングで彼だけ少し順位が落ちることが多いのは、いわゆる一般的な「アイドルファン」のストライクゾーンとはまた別の次元に彼の魅力があるからなのではないかと思う)。

そう、稲垣吾郎顔は、超絶整っているのに悪目立ちしないのだ。そのことは、彼がゴロクミちゃんやゴリーぱみゅぱみゅを始め、さまざまなキャラクターに華麗に七変化できることからもうかがえる。

高校生の中で中山(秋元龍太朗)は「意識の高い」両親が遺伝子操作をしたことにより、プレーンな同世代の友人たちの中で唯一、親世代のトレンド顔をしている。稲垣吾郎顔が「親世代の」トレンド顔であるということについて、穏やかで優しい中山は何を思うのだろうか。中山は言動からその育ちの良さを感じるし、おそらく恵まれた家庭環境であるのだろうと推察される。「世界にひとつだけ」をありのままに体現している友人たちと、そうでは必ずしもないかもしれない自分自身。

れいらが「トレンド顔」のパパに暴行されたことで、中山は、自分自身の意思と関係なく加害者と同じ顔に生まれついてしまったことに苦しめられることになる。

れいらに暴行したのは誰なのか。加害者は「トレンド顔」であることで個別性を失う。れいらを襲った加害者は「大人社会全体」であるようにも見える(女子高生を搾取する下衆な「凡庸サラリーマン男性」という醜悪な構図!)。そして中山もまた、ある意味、トレンド顔を「勝ち組」とした「大人社会全体」から「身体的」な暴行を受けた被害者なのではないか。

長くなったので、つづく・・・

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