窓からの眺め

夢を見ることは大事だけれど、現実を知ることが大切だった。

夢を見る事は苦しいかもしれない。夢は楽しいかもしれない。
でも現実を知った時、それよりも大きな壁や、挫折を味わって、さらに苦しい現実を突き付けられることがあるのですね。

夢は大きければ大きいほど、現実は大きく、その突き付けられた矛先が自分の限界や理解を超えてしまうのかもしれない。
その時にあの時の僕のように死にかける人間もいるのでしょう。
努力で全部が解決したり報われる訳でもないから大変なんだ。

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人間は年齢や性別や時代や人生背景もあるのですが、誰だって死ぬ時は死ぬでしょう。「普通は生きている」という「普通」と言うのも、漠然として曖昧で適当で無責任かって(勝手)極まりない他人の絵空事。戯言だと思うのです。

でも(だから)生きていれば、そんなこともあるでしょう。

良いこともあれば悪い事もあったでしょう。
その数や割合が自分にとっては都合が良くない、
苦しい結果だったこともあるでしょう。

夢を見ることは大事だけれど、現実を知ることが大切だった。

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僕の「生き死に」について、他人にとやかく言われる筋合いはないと思う。

僕が連絡をして、電話をしても繋がらずに、折り返しもなく、ここ何年間も交流も無い奴に、僕の事を「友達だ」の「知り合いだ」の言われたくない。

人はそれを悪口と言うけれど。僕はそれを事実だと言います。
お互い様だから。お互いに関わらなかっただけ。

僕と10人がいるコミュニティがあると、1(僕)対10(皆)です。

僕も10人も、それぞれがそれぞれと話をしているので、それぞれが一人ひとりについて考えていたり、お互いに知っているつもりでいるけど。
そこは十人十色の群像劇なのです。

知らない事ばかりで、お互いに解かっていない事ばかりなのです。

それは僕だけの話ではなく、全員が、それぞれにそれぞれとの話を抱えながら、それぞれと対峙しているのです。

特にこの10年くらいで一回くらいしか話もしていない奴が、僕の事を知ってるかのように話を始めたりするのが心底嫌なのです。

僕がどこで何をしていようが、縁が切れているのだから、昔も今も無い。
勝手に関わってくるなと、勝手に関わろうとするなと心底思う。

死ぬ時の事なんてわからない。
けれど僕は今もどこかで決めている道がある。
死に際や死ぬ時の覚悟や道は決めてある。

どうせ死んだら忘れられる。
死んだらそいつとの関係や縁が切れるだけで、誰も痛くも痒くもないのだ。

だから、腐れ縁も無いくらいの同級生なんとかや、僕を可愛がってたとか抜かすような年上連中には来てほしくない。
嫌いなヤツにお焼香されたってうれしくない。だから学生時代の友人とか言う嘘くさい連中はいらない。
僕に学生時代のなんとかっていう前置きが付くような奴らとは、生きていた間に付き合ってないから。

自分が嫌いな人に来てほしくない。 普段特別仲良くなかったり仲悪い人とかに「生前(昔)付き合いがあった」って屁理屈や戯言講釈並べるような人らに自分の葬式だろうが墓だろうが来てほしくない。

僕の名前を同窓会みたいな宴会の集客のネタに使うなと。

社会人になってからで言うと、普段から偉そうにしてきたり、大した付き合いもないのに上から目線で接してくるような人から手を合わせられても困る。

そもそも形式的にする葬儀ならいらないでしょう。
それも生きて遺された人の考え方、気の持ちようの話。

ましてや、葬儀以降、お坊さんに儲けさせてどうする。
もし集まるなら、そこにいる人が読経すれば良いと思う。
読経は誰がやっても同じだ。肝心なのは誰がどうするかだろう。
僕には関係ないところでの話。


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落ち着かないはずの誕生日。

僕は一年を通じて、夏が一番調子が悪い。
体も心も、すべてが上手くいかなくて悪い形になるのが夏。
初夏(梅雨)辺りから自分の誕生日に向けて落ちていく。

だから1年の中で夏場が一番悪くて、冬に向かう秋が一番安定して調子がいい。春や冬は好きだけど、安心感がある秋が本当の僕は良くなる。

けれど去年と今年は別だった。
確かに夏は最悪になったけど、その先がまだあった。


「春になれば死ぬだろう」
という前提をまだ飛び降りた秋、それ以降も「死」持ち続けていた。

今でも「生きた証を残したい」と言ってしまう。

でもまたもう一度、
あの頃のように狂ったような日々を送ることはできません。
やろうと思えば今でもできるのかもしれないけど。

けれど、人生はこれからも続いていくのだから。
そう思えば、いつまでも過去に囚われていては生きていけないのです。

その「ふり」は出来ても、事実や実際にはする訳にはいかないのです。

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毒と苦別です。

情報過多なら情報を遮断すればいい。
周りの一言や他人事がウルサイのなら突き飛ばせ。

無知は罪なら、罪にならない世界に自分の居場所を作ればいい。
もうそんな所に縛られて生きるのは止めよう。
これも「負の連鎖は僕で断ち切る」の答えではないだろうか。
雑音との付き合い方は、取捨選別、千差万別です。

幻に憑りつかれた俺の愛を 突き飛ばせ。

そして どこかに 捨て ちまえ よ インマイヘッド。


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