2011年7月22日 川内倫子さんギャラリートーク@FOIL Galleryのメモ書き

写真集『Illuminance』発売と写真展開催を記念し、まだ移転する前のFOILギャラリーで2011年7月22日に開催された、川内倫子さんトークショーのレポートです。当時書いてFBにメモ書きで残していたものが見つかったのでnoteにも上げておきます。当日はディスカッション形式にしたいという川内さんの希望で、まず観客から質問をなげかけ、それに対して川内さんが答えながら討議するという形で進みました。

私のメモ書きから主観で再構成したものですので文責は私にあり、事実誤認等を含みます。川内さんの意図とは異なっている部分もある事をご承知の上でお読みいただければ幸いです。


-3.11の被災地の様子を4月中旬に友人の韓国人写真家が取材するのに協力/同行する形で撮影。

川内「報道写真ではないが作品として撮ったのでもない。自分を通して今回の震災がどう見えたのか、その1つの見方を記録しておきたかった。そういう意味ではドキュメントとも言える。海外でも今回の震災の事を聞かれる事が多い。その時、伝聞ではなく自分がどう見たのか、その写真と言葉で説明すべきだと思いタイミングをはかりながら現地入りした。被災地を写真に収めるという罪悪感と共に、究極の状況の中で見えてくる日本の美の発見もあった。同行の韓国人写真家と共同でチャリティー写真展を海外で開催している。」

-写真を撮る動機について。

川内「美しいと思う事が大きな動機だが、実際には感情や思考よりも衝動が先に来るのが面白い。自分を通して見た1つの世界の表現を得たいのであって、被写体は重要でない。自分がそこで何を見たか、どう感じたか、その関連性を記録する。だから後から自分の写真を見ると、この時自分はこう感じていたのかとか、時代が見せてくれる物の再発見があったり、無意識の発見があって面白い。写真を自分や世界を考えるためのツールとして使っている。」

-光の読み方について。

川内「光が独特だとか、同じような質問をされるのだが、実は光を一番に思っているわけではない。自分の中で見えている世界をどう忠実に表現するかが重要な事。ただ写真という物は光がなければ始まらない。今回の写真集のタイトルは最初、玉虫色をあらわす『Iridescent』にしようと思っていた。これは光の角度によって様々な見え方がある事が、作品を編んだ動機でもあったから。だが発音しにくいし、表現的にネイティブにも少し違和感があるという事で、照度をあらわす『Illuminance』にした。イルミネーションなど、日本的にもわかりやすい言葉だというのも理由。強いて個人的な好みを言えば、秋から冬にかけての日本の光は素晴らしいと思う。」

-写真集『うたたね』との関連性について。

川内「3作品同時出版でデビューという事になっているが、その中でも『うたたね』は作品の中心であり、自分の中でも特別な作品。本質的な部分、ど真ん中という事では今でも変わっていない。だから(今回の写真集も)『うたたね2』でも良かったんだけれど、何か格好悪いでしょう?(笑)」

-写真のセレクト方法について。

川内「感覚的に選んでいる。撮っている時は、全体の中でこういう位置づけになるだろうみたいな事は一切考えない。後からコンタクトやテストプリントを床に並べてウンウンと考える。こういう傾向の写真が多いから、これは外しましょうとか、料理に例えれば塩味が強いから少し砂糖を加えるといった感覚的な、個人の好みに合わせる作業なので説明が難しい。”自分の見たい世界”があって、そこに近づける感覚的な作業。」

-独特と表現される”色”について。

川内「光の話とも関連するが、写真を始めた元々の動機は”自分の中で見えている世界を忠実にプリントしたい”という事だった。だから自分の中でこう見えているという色を再現しているにすぎない。」

-今回、動画を展示した事について。

川内「精神が集中してくると事象が止まって見えてくる。それは写真として捉えられるが、時として集中すると全く逆に動いて見える事がある。そういう物を撮りたいという欲求を発散するために動画を撮影し始めた。少しずつ撮りためていき、山梨での展覧会(注.2009年にギャラリートラックスで開催された"a pause"のこと)で埋め込みのディスプレイでスチルとムービーをミックスして展示するアイデアを思いつき実施したところ評判が良く、今回も30分のムービーを編集して同様に会場で流す事にした。行く行くは1時間程度の作品にまとめる予定。」

-動画の中で音声が流れたり消えたりすることについて。

川内「集中している時は音が耳に入ってこない事がある。その感覚をムービーでも再現したかった。」

-写真集『Illuminance』について。

川内「15年間の作品をまとめたかのような説明があるが、語弊があって、6×6でカラーで撮り始めたのが15年前で、その頃の作品も入っているということ。構想15年という事ではない。ただ6×6で撮って来た事の集大成という意識はある。展覧会では6×6ばかりでなく135で撮影した作品も混ぜているが、これは6×6のスクウェアばかりだとリズム感がなくなるから。6×6が好きというよりはローライフレックスというカメラが好き。だからといってローライだけで撮ったわけではなく、冒頭の日蝕の写真などはハッセルで撮っている。」

-自身の作品が海外で評価されている事について。

川内「作品に固定の情報を入れていないので入りやすいからではないか。日本と海外で観客の感想が違うという事はなく、概ね一緒。自分自身ではなく他人のために撮ると作品が濁る(弱くなる)。作品の純度を高めるためにも、自分自身のためにだけ撮ると決めている。しかしながら、自分自身のために撮った事でも、自分が見た事を作品として発表する事で、観客と時代を共有したり、他人もそう思っていたんだと気づかされる。他人との関係性は後から付いてくる物。写真にもリズムがあって、自分の見えている世界・撮る動機が常に美しく見えているわけではない。」

-今までで一番辛かった撮影は。

川内「精神的にというより肉体的に辛かったのが、ブラジルでの撮影。湿度も気温も高く、日本の夏の一番不快な時期のような気候の中、ムービー含めてカメラを何台もぶら下げ、三脚も持って撮影をしに行った。バスが1日に1本のような僻地で帰るに帰れず、地元のブラジル人とのノリも合わず、虫もいっぱいで何でこんなところに来たんだろうと後悔した。でもそこで得られた物も大きかったので写真家はやめられない。体育会系なので、やりたいと思ったことはやってしまう。」

-普段の川内さんは。

川内「お酒ばかり飲んでダラダラしています(笑)」

-会場に展示されている滝の写真について。

川内「観光船が滝に近づきすぎてカメラが水を被ってしまった。フレームの周りの歪みはフィルムが濡れた後。偶然上がってきた物が面白いと思った。」

-露出の決め方は。

川内「経験的にこのカメラでどういう時にはどのくらいのシャッタースピードでというのが頭に入っているので、露出はいちいち計らない。どう上がってくるか露出も含めてワークフローが出来ているので。ISO100と400なら400の方がいろいろと対応しやすいし、フィルムはISO400のプロビアXを主に使っている。」

-震災などの不安、あるいは実際に被災地を見たことが自分の作品に影響を与えたか?

川内「自分の写真への対し方としては震災の前後で何も変わらない。自分の見たもの、感じた事を自分を通して解釈しているので。ただし人間として自分の考えなりに変化は当然あるわけで、(昔の作品と)変わったのだとしたら、それは自分の経験なり変化のあり様があらわれているのだと思う。」

-3.11の震災時は何をしていたか。

川内「友人にプリントを手伝ってもらう約束をしていて、自宅で持っている時に会った。友人に「こんな状況だから来ないでもいい」と連絡しようとしたが、当然のように電話はつながらない。しばらくして自宅に無事やってきた友人と、ただテレビの報道を見ているしかなかった。テレビを見ながらいろいろ話をして2人で一晩すごした。あの時にそういう無力感を感じた人は多かったと思う。」

-プリントは色など仕上げをコントロールできる幅が広いが、ムービーはある程度決まってくる。その差に関しては。

川内「色の時の話でもしたが、自分では自分が見えている様に撮影しているだけ。自分の見たままにいかに作品に反映するかではスチールもムービーも特に差があるとは考えていない。」

-川内倫子フォロワーと呼ばれる人たちについて。

川内「ホンマ(タカシ)さん、佐内(正史)さん、hiromixさんの時も、彼らのような作品は多くあらわれた。それは模倣なのではなく、その作品の表現方法が時代の雰囲気にちょうどマッチしていたのだと思う。だから自分のフォロワーという風には他の人の作品は見ていない。たまに雑誌を見ていて「私、こんなの撮ったっけ?」と思う事はあるけれど(笑)」

-欧州と日本の作家性について。

川内「欧米はコンセプチュアルで展示/展覧会ありき、日本は私写真的で写真集を出す事が評価の前提、という感じなのは昔と変わらないが、その差は最近はかなりなくなりつつある。」

-今後の作品制作について。

川内「6×6から、今は4×5やデジタルで撮る事が多くなりつつある。意図的に換えているのではなく、感覚的な自然の欲求による物。それに6×6でとらなければいけない、なんて規定してしまうと撮る事も作品もつまらなくなる。」