どうやら社会人で大学院生って流行ってるらしいじゃないですか

勉強することはいいことだ、と子供の頃から大人に言われ続けた。勉強さえしている様子であれば叱られない、そんな日本の普通の風景。運動ができるか、成績が優秀か、性格が良いか、明るいか。まだまだそんなことが大事な日本。

まあ、間違ってるわけではないが、そんなことで、私、今46歳で大学院生だったりする(M2)。そういうと、周囲の反応は「へー、すごいねー、で、何してんの?」という感じになる。なんらかの変わり者扱いだ。

小さいながらも自分の会社を持ち、営業してデザインして施工管理して、近所の大学で非常勤講師をし、隣町で大学院生だもの。三足のわらじでは足が足らない。

まだ周囲の声はいい。無関心がベースにあるから。「知らんし、勝手にやってるんでしょ」という無言のメッセージ。逆に心地よい。

だが、家族の声は散々だ。生活密着だもの。

72歳父「お前、いつまで学生気分なんだ」

70歳母「…あんたの好きにしなさい」

同い年の妻「で、どうすんの?」

高校生息子「ふーん(無関心)」

教授を目指すわけでもなく、出世を願うわけでもなく、給与が上がるわけでもなく(なんなら仕事の時間減ったから下がるし)、社会的に価値が上がるわけもなく、周囲からは「へー…あなたの旦那さん勉強熱心なのねー(知らんけど)」と無関心な嫌味を見舞いされたりするし。

お笑いタレントの田村淳氏が慶応の大学院生だったと先日知ったが、「お互い頑張ろうな」という感じである。自分がしたいことが見つかったら、まずはやってみるタイプなのね、お互い、と。


やりたい仕事に関して、こんなマトリックスがあるらしい。

①「やりたいこと」と「出来ること」が重なったら最高に幸せ

②「やりたくないこと」と「出来ること」は社会に求められてるから幸せ

③「やりたいこと」だけど「出来ないこと」は努力出来るだけ幸せ

④「やりたくなくて」「出来ないこと」は疑ってかかろうぜ。本当かどうか知らないし。俺でいうと野球選手になる、といったところか。どちらも興味ないし。けれど、やりたくないって信じていることは、決して気分の問題ではなく環境や情報に左右されていることもあるだろう。疑え、と。

今、きっと大学院生なのは「やりたくて、出来る」と信じているから。将来のこととか関係なくて「今、やりたいんだもん」という勉強に対してのリビドーの爆発だろう。一発やりたいワカモノと同じような、「いや、未来とか知らんし、今やりたいし」である。

流行ってる、乗っかってる

それでもいいや。ほかにやりたいこともあるわけでなく、勉強出来ることは贅沢なことなのだから。

地方国立大学院だから今更学歴ロンダリングして、何か得することもなく。まあ、贅沢な時間を過ごさせてもらっています。


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