死に様は生き様だ、なんて嘘だ。

通勤電車の乗り換えの合間に、本屋の売れ筋ランキングを眺めていたら、「どうやったら人に好かれるのか」みたいな内容の本が置いてあった。

ついつい人に嫌われたくなくて、美容院で、自分の髪が、いつの間にか新人さんのヘアアイロンのかけ方の練習台にされてても、ニコニコしながら「お役に立てて嬉しいです〜」とか言っちゃう、ちっちゃい自分は、そんな本を手にとってしまって、買うか迷って、目次を見たところで、買うのをやめた。

「死に様は生き様だ」。

 そんなフレーズを見たのが3月だったからかもしれないけれど、「それじゃあ、あの津波で死んだ人は、生き様がそうだった、っていうのかい」「コロナで死んで、面会謝絶のまま死んで葬式をしなかった人は、生き様が孤独だったとでもいうのかい」と思った。


 最果タヒのエッセイで、「生きてれば、一人になる時期なんてあるし」みたいなフレーズがあって、それを初めて読んたとき、なんだか心が、すーっとした。

 実際、私の人生は、調子が乱高下を繰り返していて、なんでか知らないけど、ありとあらゆる人に好かれて「あの人を嫌う人なんていないよ!」と周囲に言われる時期と、いわゆる仲間はずれにされて、面倒事だけ押し付けて裏で笑われているという時期を行ったり来たりしている。

 「私、なんか悪い事したんかな」なんて思うけど、悪いことをしたら嫌われるなんて、そんなに世の中単純じゃないし、悪い男や悪い女ほどモテるなんて話もあって、そのうち、周りを見てみれば、いつも人に囲まれてる人なんていないことに気がつく。

 死は平等に訪れるし、人生の集大成が死、じゃなくて、なにかの道の途中で突然現れるものなんだと思う。それが訪れたときに、その人が一人な時期だったか、そうじゃないか、だけ。


「人に好かれたいなら、相手の言ってほしいこと、相手を喜ばせるようなことを言うこと」なんて、コミュ力の本には軒並み書いてあるけど、そんな忖度人生は、言い方を変えれば「八方美人」「自分がない人」なわけで、極端にいえば、「嘘つき」だ。

自分自身、そうやって、いつも相手の言ってほしいことを言っていたら、言っているうちは、確かに人が集まってくる。でも、自分が酷くピンチのときは、みんないなくなった。そりゃそうだ。自分に利益があるから近づいたんだから、利益がなくなればいなくなる。



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