ピクニックの決行日
『25まで生きるの。そして死ぬの』
彼女の言葉が、時折脳裏を過る時がある。
ピクニックの決行日
今年私は26になった。
他でも無い彼女が命を手放したのと同じ歳だ。
少しだけ私のことを綴ると、当時名前もわからない彼女のことが他人事に思えなくて、でもそのおかげでずいぶん救われたことがあった。
きっと彼女もそうだった。
人の成り立ち方を知りたいと彼女が言った意味が、私にはよくわかる気がした。
何度も、何度も、理解したくて繰り返した。
でも、決まって後に残るのは、
本と煙草と珈琲と。
受け取ってもらえなかった心はどこに行くんだろう。
“落ち”“着いた”先には何がある?
抱き留めてもらえなかった彼女の心はどこに?
“落ち”“着いた”彼女はそこで一体何を思ったのだろう。
25まで生きると決めていた。きっとそれまでに答えを探していた。
私は?
私はまだ答えを見つけられずにいる。
だから、だからまだ私は、このまま探し続けると決めたのだ。
今年2020年の11月25日、その日は水曜日だ。
私はきっとあの場所を訪れる。
彼女へ別れを告げるために、あの日の私の弔いに。
ふとした時、車とすれ違う時、確かめるように自分の体に触れてみる。
大丈夫、7月は過ぎたのだと言い聞かせながら。
この心情を表す言葉を、自分で見つけられなかった私の代わりに、あの子が掲示してくれた言葉を最後に記そう。
「死んだ人はずっと死んだままだけど、
私たちはこれからも生きていかなきゃならないんだもの」
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