見出し画像

母といた50日間。私の中に生まれた変化とは?

今朝、母が大阪に帰った。

朝の7時に立川駅で弟と待ち合わせ。
そこに母を送り届けて私と母の50日間の生活が終わった。
この先大きく母の状態が変わったら、また私は母と暮らすことになるかもしれないが。

子供が家を出て私一人の生活が始まったのが約2年前。去年は一念発起してピアノを始め、やっと自分に時間と多少のお金が使えるようになってきた。お気楽ではないにせよ、楽しく自身のペースで生活を送っていたところに急遽加わったのが母である。

私の父はいわゆる抑制の効かない人だ。激昂しやすくその際には手が出る。
異様に外面がよく他人のためには労を惜しまない。そして他人にはとても優しいため母は「あんな優しいご主人がいていいね」とよく言われる。また地域の某組織でも役についており、様々な頼まれごとを嫌な顔一つせず率先してやっている。そんな父だから家族に対し暴言暴力があるなんて他人は想像すらしない。

私は幼い頃から父の母に対する暴力を見て育った。母も私と弟の間で何かあると(喧嘩)私の手足を縛って押し入れに放り込んだり、手で尻や太ももを叩いたりした。手を出してきたのはいつも弟からだったのに、母は私の言い分を全く聞かず「喧嘩両成敗」と言って私を懲らしめたのだ。母は躾のつもりだったのだろうが今から思えばそれは虐待だ。女の子だから、お姉ちゃんだからと常に我慢を強いられ家事手伝いも強要された。弟が掃除をしたり食器を洗ったり、もちろん料理の手伝いをしたのを見たことがない。

暴力を振るう父も嫌いだったが、私は母も嫌いだった。そんな家から早く出たくて大学は家から通えないところだけ受けた(結局家から一番遠い東京の大学に通い、今もそのまま東京暮らしを続けている)。

母も何度も家を出る決意をし、実際何度かは家を出ているのだけど、親戚の「もうちょっと我慢してくれない?」という言葉だったり(当時父方の祖母を介護中。母が家を出ると親戚が面倒を見ることなる)、母の友人の言葉だったりに気持ちを持っていかれ、結局父のいる家に帰るということを繰り返した。

何とか平穏を保って両親は暮らしていたが、ついに今年の10月末には警察に相談する事態に。私が念の為、と地元の警察に相談したのだけど、その数時間後に本当に警察を呼ぶ事態になってしまったのだ。
母の身の案じた警察官の助言に従ってそのまま家を出た母。身を寄せる場所は私のところしかない。弟にも面倒をみる義務はあると思うのだが、向こうは家族4人で3LDK。私は一人で戸建てに住んでる。住環境を考えると弟の家に行くという選択肢はなかった。

私は母にあまりいい感情を持っていなかった。それはそうだろう。あんなに私のことを叩いていたんだから。本人は躾のつもりなので全く悪気がない。しかも当時のことをすっかり忘れており、自分が幼かった私を叩くわけがない、と言う。
呆れた。
けど記憶のないことに関して今私がそれを責めても仕方ない。
そして娘なんだから母の面倒を見ないといけない。



歳をとった母は新しいことがなかなか覚えられない。
目も悪いのでゴミは見えにくい(自分が汚したものが見えない)。
耳も聞こえづらくなったのでテレビの音も大きくする。テレビはリビングに一台しかないので私がアマプラ観たくても、本をそこで読みたくてもテレビを消すという選択肢がない。母は家ではテレビを見ることしかすることがない。
夜中に何度もトイレに行く(その物音で毎回私の目が覚める)。
簡単なもので済まそうと思っても、一日2回のご飯でいいやと思ってもそれができない(3食常に用意)。

退職に伴い11月下旬から有休消化に入ったが、私の生活には丸一日母がいることになった。私の自由な休みは何処へ?

いつまで私はこうして母の面倒を見ないといけないんだろう?母が死ぬまで?子供の面倒が終わったら親の面倒?しんどすぎる。
そう思っていた。

11月に入ると弟が実家近くにマンションを見つけたと母に連絡してきた。高齢でも入居できるという。6月に東京に逃げてきた時はこちらで賃貸物件を探したのだが高齢の母に貸してくれるオーナーさんはいなかったから、本当にありがたかった。

母は地元に友人が多く、コミュニティを持っている。友人のいない、地縁のない東京で暮らすよりコミュニティのある地元の方がいい。
母が私と暮らすのもそのマンション入居までの期間だ。期間限定なら優しくできる。面倒も見られる。

もう今後今のように元気な母と暮らす時間はないかもしれない。

そう思うと母にいろんな経験をさせてやりたくなった。

コンクール地区本選があった横浜に連れて行った。中華街でご飯を食べた。
ストリートピアノを聴かせに立川へ行った。
昭和記念公園で黄色に染まった銀杏を見た。私も初めてパークトレインに乗った。
映画は2回行った。
スタバでフラペチーノを買った。
ミニストップでパフェを買った。
伊勢丹でジョーマローンのコロンを買った(プレゼントした)
なるべく母が食べたことのないようなものを作って食卓に並べた。
(大概は普通にご飯と味噌汁に主菜といったシンプルなご飯だけど)
高価ではないけどちゃんとしたワインとチーズを出した(母はいつも安くて甘いワインを飲んでいた)
ニトリへ行った(大型店舗なので「何でもあるんやね」と驚いていた)
イオンモールにも行った。
トレファクにも行った。
Amazonやら他の通販サイトで買い物した。
iPhoneを買った。
LINEを始めた。
YouTubeを始めた(ゴロじろうをチャンネル登録した)

どこへ行っても何をしても「すごいなぁ。すごいなぁ」を連発してた。

ロゼのシードルも美味しかったね

一旦覚えてもすぐ忘れてわからなくなってしまう母。自分でも記憶が保持できないことを自覚しているから手帳に色々なことを記載していた。
昔はシャキシャキしていて怖くて厳しい人という印象だったが、今の母はただの弱々しいおばあちゃんだ。

四、五十年前と立場が逆になり、私が母に教え面倒をみるようになった。心身ともに衰えていく中、それでも何とか頑張る母を見ているうちに愛おしいという感情が生まれた。
私、本当はもっと愛されたかったんだよね。頭撫でてもらって抱きしめてもらいたかったんだよね。もしかしたらこんな歳になった今も母に甘えたいのかもしれない。あんなに嫌いだったのに。

甘えたいのかも、と思ったら何だか急に母が恋しくなったきた。
その母はもう多分新幹線を降りただろう。
そして新しい生活の場所に向かっているだろう。

今度会うとき、私はもっと優しい娘になっている。母に残されている時間がそんなに長くないことを知っているし、何より本当は母を大事に思っている自分に気がついたから。

最初は鬱陶しくすら思っていた母との時間だったが、こんなふうに母に対する思いが変わって良かった。これからは母と何かあっても私は感謝の気持ちを持って母に相対せる。

初めての一人暮らしだね。お母さん頑張って‼️



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?