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底のないプールに放り込まれるこの感覚が「虚無感」と言うのであれば

こいつがくると何もできない。ひたすらにどこまでも落ちて行く。それは急スピードではなく、緩やかに、ゆっくり、まるでその味を舌の上でじっくり吟味するように。徐々に呼吸ができなくなって溺れて行く感覚で、もうこれがやってくるとどうしようもない。

ああ、やって来るな。
とは感覚で分かるものの、どんな武器を構えていようと、片手で簡単に折られ、鷲掴みにされ、気づけばぶくぶくともう沈んでいる最中だったりする。

これが”虚無感”という名前なのか定かではない。けれど、現在わたしはこいつにまんまと捕まり、すっぽり包まれている。

昔は3ヶ月に1回くらいやってきた。なのにここ数年は、1ヶ月に1回のペースでやってくる。この日記も、3月5日に下書きに置かれていたものだ。

基本あまりネガティブな感情は表に出さず、内で飲み込むことができるのだけど。そんな判断すらも「ああ。どっちでもいいや」になってしまって、YESにも、NOにもスイッチが動かないため、垂れ流している。
(いつも好きで私のnote読んでくれている方に申し訳ないな、って感情はとてもある。その辺はやはり腐ってもライターなのかもしれない)

でも人間、上機嫌でハイパー元気な時もあれば、その逆も絶対あるよね。
落ち込んでいると優しい人たちが「大丈夫?」「元気だしなよ」って言ってくれるのだけど、ひねくれモードに入った私は「上機嫌でハイパー元気な時が絶対に良い!って誰が決めたのさ」なんて、心の中で毒づいてしまう。

沈んでいる時、落ち込んでいる時のわたしも愛してほしい。だなんて厚かましいかしら。

だって底の方があったかく感じる時もある。

というわけで1ヶ月ぶりくらいの虚無モードに入っている。
でも人間の体は勝手に浮くようにできてるから、また知らないうちに本人の意思とはあまり関係なく浮上してくるのでしょう。

さて、はりきって沈んでいこう。

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