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ずっと書けなかった自分史、再開しました

「ねえねえのちさん、更新ってまだですか?」
ちょっとニヤニヤしながら、冗談まじりに聞いてくれる知り合い達にめっちゃごめんなさい、明日は必ず!だなんて、顔の前で手を合わせ、わざと守れない約束を結び付けては破り続ける日々から、1年が経ちました。

「書けなかった」なんておこがましい、「投げ出して」と「書かなかった」が正しい訳なのだけど更新を再開しました。80人近くが購読してくださっていて、この申し訳なさったらない。本当にごめんなさい。本当に。これから真面目に執筆していきます。

自分史を書こう、と決めたのは私自身が自分を振り返ってみたかったから。
わざわざ有料マガジンにしたのは、全力投球で書いてみたかったから。(のと、同級生に見られるのは恥ずかしかったから。でも幼馴染がわざわざ買ってくれていた。ありがとう萌ちゃん。ちなみに君の話もいずれ出てくるのだよ。友達辞めないでくれ)

書き始めたのは沖縄の、波照間島という島(日本最南端の有人島)。真っ青に染まる海と空に朝の挨拶をして、サトウキビ畑を全力で走り抜け、涙がでるくらいに美しい海でノートを広げ、初めのうちは調子良くガシガシと書いていた。
嫌いな先生のことや、子供の頃好きだったあの子のこと。神様みたいだった先輩のこととか、集団生活のこと。
鍵すら無くしてしまって、二度と開かないと思っていた扉たちを、波照間の自然は次々に開けてくれて。

しかしながら「頭の中をミキサーでぐるぐるにされる経験」をしたことがなかった私は、書き終わった後はいつもぐったりと全身の力が抜けてしまい。その後何も出来なくなってしまって、いつの間にか、パソコンすら開けなくなってしまった。

エッセイを書く時にもいろんな引き出しを開けるけれど、自分の歴史の引き出しってあんなに重さが違うんだね。例えるなら、エッセイは時代のラベルがついている引き出しをピンポイントに開けて必要な情報を探して出して、パズルみたいに組み合わせる感じ。

一方自分史は、とにかく全ての時代の引き出しをひっくり返して、底の方に張り付いてボロボロになっている情報も、「ちょっとまって。これって捨てたはずだよね?」みたいな恥ずかしい情報も、チャンプルーされて目の前に並べられる感じ。ちょっと待ってくれ。この情報、いま見せないで!燃やして!みたいなやつを、わざわざ噛み砕いて、飲み込んで、言語化する作業みたいな。ドM作業。

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じゃあ何でわざわざそんなドM作業をしようと思ったのかというと(もちろん購入していただいた方にきちんと誠意を見せるという気持ちがあることを前提に)一通のメールをいただいたから。

幼少時代同じようなことに悩んでいて、今もまだ大学でずっと悩んでいる、という内容でした。将来は世界中を旅したくて、と添えられていて、そういえば私が自分史を書き始めた最初の理由を、はっと思い出した。

ここまでくるのに約10年。
たくさんの遠回りを繰り返してきたからこそ。
わたしと同じように、組織に属して生きてゆくことに、うまくピースがはまらないひとへ。 “自分らしく生きる“を今、迷っているひとへ。
なんとなく、息がしずらいと感じているひとへ。
この作品が先を照らす何か、一筋の欠片のようになれたら。
なんて図々しいことを思いながら。

これは、わたしが生まれ、「旅をしながら仕事をする」という生き方にたどり着くまでの自分史。
 これまでの気持ちもさまざまぶち当たった葛藤も、楽しさも、苦しさも。
一滴残らず絞り出し、この物語をひとつのメッセージとして。 お伝えできればと思います。

-  【古性のち 自分史】#1 はじめての集団生活と折り紙(とプロローグ)から抜粋

そうだ。そうだった。「自分を振り返りたい」の底にあったのは、こんな図々しい思いだった。
1年たった今、改めて読んでもちょっと笑ってしまうほどに図々しい。

だけれど、そんな図々しさに、少なからずこのメールをくれたひとりは、続きを期待してくれているのだと。
そうしたら「ああ、書けないなあ」なんて言っている場合ではない。
「書く」のだ。「書かなければ」なのだ。


現在、全話半額・上の1・2話は年末まで無料公開しています。

ゆっくり自分のペースで、だけれどゴールまで、今度こそ書き上げていきたいと思います。とはいえ心がガラスよりももろい、多分クッキーとかで出来ています。ぜひハートで応援くれたらうれしいです。


ずっと書けなかった自分史、再開しました。

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