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枠と自己探究

アメブロとnoteのすみ分けをしばらく考えていたけど
やっぱりメディアが変わるとそこに在住(!?)する人たちの属性も変わる。
そして書き手の自分もスタンスが変わりますよね。
文語体・口語体、漢文・和文の違いのようなイメージです。
(っていうほどアメブロも書いてないけど 汗)

あんまり小難しく考えずに、そこに向き合ったときの自分のスタンス、ここにこれを書きたいを大事にしていこう、と単純に考えることにしました。
(小難しく考えるのが得意でいつも手前でうろうろしてしまう。変な修行癖がある。)

私がやっていることの一番コアなところは「自己探究」のサポートとそれを基盤とした「事業の構築(グランドデザインをつくる)」です。

ここに向き合って早10年。
自分の探究も含めて、10年やってきたことを出す時期にきた。
今までなぜ出さなかったのかも不思議だけど、そこは「職人魂」みたいな「自分、まだまだ未熟なんで(頑固一徹)」がききまくっていて出せなかったんですよね。

さて、タイトルにもありますけど「枠」と「自己探究」のこと。
「自分はこんな人間です!」ってことを突き詰めて考えていくと、そこで自分を決めつけてしまう危険性もあるんですよね。
決めつけちゃうとそこから出られない。
でも、自分を知らないと他人との境界線もわからない(他人軸で生きている)とか自分が枠にはまっている、線の中でしか生きていないってこともわからないんですよ。見えない枠の世界でしか生きていないことに気づけない。

いつもふつふつと思いながらも外に出してこれなかった。

自己探究と、そこから広がる世界について書いていきたい。
書いていく、とここに宣言してしまおう。

自己探究のツールは世にたくさんある。
占星術も四柱推命もストレングスファインダーも各種心理テストも自分を知るためにはとても有効なツールだし、なにせ面白い。
自分のボキャブラリーで表現できなかったことを、他者が代弁してくれているようなことだし、自分が認識していない、気づけないところを伝えてくれたりします。「そうそう!そうなのよ!」ってなることも多いんじゃないでしょうか。他者に自分を理解してもらったような気がしてうれしいし、楽しい。

でも、そこを面白い!楽しい!で終わらせずにその先の世界をみるための、その先の世界を生きるためにどうするか。を出していきたい。

探究と選択と行動と、なんかツラツラとそんなことを書けたらよいな。



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