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北京入院物語(45)

 前編に続きますが、一般病棟でも泊り込みのフーゴンというのはいましたので、たとえ軽作業でも、看護師によっては(口にこそだしませんが)私らの仕事じゃないわと思っているかもしれません。
このあたりのグレーゾーンをあいまいにしたまま、私はこの病棟に約2年いたのです。
寝返りさえ自分たちの仕事とじゃないと思っている(かもしれない)看護師に、夜にフーゴンが帰った後、大きいのがしたくなったらどうするか・・・・・・。

 シェイクスピアはハムレットに「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」と言わしめましたが、日本から2000km離れた北京で、私はいざの場合に「呼ぶべきか、呼ばざるべきか?それが問題だ」と切実な問題として2年間の間、夜には不安におびえ、どうぞナニが肛門をノックしないようにひたすら祈っていたのです。

 朝7時から夜7時までは周さんが、私の介護に当たっていましたので、一般病棟の看護師と私の関わりはほとんどありません。
朝、昼の検温の際に、戸口でフーゴンに体温計を渡すことと、夕方漢方薬のパックつめとビタミン剤をフーゴンに渡すことくらいです。
この程度であれば誰でも出来ると言いたいくらいです。

 ですので、周さんが帰った後、夜に寝返りと消灯という超やっかいな仕事(と彼女たちに思えた)を頼む私の憂鬱はハムレット以上だったのです。
こういう風に20年も前のことを書いていても、感情が文字の間に見え隠れすることをお感じの方もおられるでしょう。
私ははっきり言って、この一般病棟の姑(しゅうとめ)に鍛えられ、強くなったのです。
その話はぼちぼちとお話します。
(やや怒りを込めて・・・)
北京入院物語(46)


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