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おばさんは痴漢にあったら、うふって喜ぶべきなの?

中年ノラ編集者の、曖昧なこの世界はいつもグレー。
関係ないけど写真はブリュッセルの古いビヤハウスFalstaff。朝ビールを強くお勧めします。

痴漢に無言だった15の春。

日常的に痴漢にあっていたのは15歳、千代田線各駅停車、代々木上原行。

地味顔、小柄、制服という痴漢イメクラのリアルみたいな姿で満員電車に乗っていたから、サラリーマンの皆さまに、さわられ放題。鋼の神経となった今となっては信じられないことだが、当時はなかなか声が出せず、無言で手を押しのけつつ耐えていた気がする。振り返って考えてみればそれも敵を喜ばせていたかもしれず、はなはだ胸糞悪い。

なぜ痴漢に敬語を使うのか?

大学に入ると満員電車に乗らなくなり、就職したのはフレックスタイムの出版社だったから、朝のラッシュとも痴漢とも縁が切れた。

酔い潰れて終電間際の山手線でグルグルしていたら、見知らぬ男が連れを装ってスカートの中に手を突っ込んでいるようなことはたまにあったが、もう「やめてください」は間髪入れずに言えるし、なんなら手もはたけるようになっていた(この際、なぜ敬語なのか、自分でも理解し難い)。

出来事は、いつも不意打ち。

それから長い長い月日が流れたコロナ禍が始まる少し前のある日、都内某所の長いエスカレーターに乗っていた時のこと。何度も、後ろでもぞもぞと手が動く。「カバンから何か取り出そうとして当たっているだけ」と解釈したのは、もはや我が身が中年女という、痴漢が最も好まない人種に変容を遂げているからである。

ところがその後の動きが明らかに痴漢であったので、思い切り振り向いた。ぎゅう詰めの長いエスカレーターで身動きするのは危険だ。だが、痴漢は、わたしの若づくりの後姿を見て、娘さんと勘違いをしている可能性が高い。その場合、老いさらばえたこの顔を見せつけて「やめてください」と言えば、敵に与えるダメージは強大なはずだ。また、やはりこちらの勘違いで冤罪だったら、相手も「なんだよババア」など、それなりの対応をしてくるだろう。

というわけで振り向いて「やめてください」と言ったところ(やはり敬語である)、果たして手の主は「すみません」と小声で言うと、あけてあるエスカレーターの片側に移動し、猛烈な勢いで駆け下りて逃げた。痴漢であった。

と、ここまでの話は「前フリ」。

「それで取り逃しちゃったんだよねー」という話を、たまたま仕事で一緒だった若い編集者にすると、彼女はこう言った。

「すごい!女として勲章ものじゃないですか」

驚いた。つまり中年女のわたしが痴漢に遭ったことは「女として現役であること」であり「誇るべきこと」だと解釈しているようなのだ。「痴漢に遭う=不愉快な出来事」という従来の受け止め方とは異なるらしい。
そこでこんどは同世代の女性複数に同じ話をしてみると、おおむねこのような反応があった。

「この年で痴漢に遭うなんて!いいな若く見えて」

まるで「こないだナンパされちゃったの〜」と自慢する、トンチキな自称・美魔女の類を冷やかすかのような反応である。男性が如何なる反応をするかは、そこで人に話すのをやめてしまったのでわからない。

殴る・蹴る・触る

これがもしも、「長いエスカレーターで後ろにいた知らない男に殴られた」なら、わたしは暴力の被害者である。蹴られたら、中年であろうと老婆であろうと、不幸な出来事に遭遇した人間だと認定されるだろう。同情される可能性も高いと思う。警察に届けたら被害者となるだろう。

でも、中年女が知らない男に触られる、多少詳しく書くと公共の場で下半身をまさぐられるのは、「女として現役」であり「誇ること」で、なんなら喜んで自慢していると同じ女性がとらえることもある。

「おばさんは、痴漢に遭ったら喜ばなきゃいけないの?」

わたしは特段フェミニストでもないけれど、女の若さにまつわるあれこれは、まるで呪いだ。痴漢にすら「欲情してくださってありがとうございます。日頃のアンチエイジングの努力を認めてくださって光栄です」と感謝せねばならないのか。

グレーってたぶん世の中の大半。

わたしが話した彼女たちは嫌味を言う人でもないし悪意もない。彼女たちの反応はたぶん、多くの女性に「無意識に刷り込まれた受け止め方」だ。若さと性に値段がつくことは、昨今糾弾される問題というより、もっと普通の日々に染み込んでいる。
何が正しくて何が間違っているか、白と黒に整理整頓できていないグレーな部分。

なってみて、はじめて知る。中年女というのは、意外と生きにくい。

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