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5年間多拠点生活をした夫婦のドタバタ移動録【マレーシア×日本】

どうも、渚都(なつ)です。
2023年いっぱいで5年間続いた多拠点生活が終わり、流石の我が家にも「もうしばらくあんなにカオスな生活をすることはないですねー」という空気が漂っているので、節目としてこれまでの歴史をざっくりとまとめてみました。

もしご興味ある人は覗いてってください。

まずは渚都の基本プロフィール

1994年6月、神奈川県の藤沢で生まれたらしいが、ヘビー級の転勤族だったので小学校を卒業するまでに10回の転勤を経験し、幼稚園4つ、小学校4つに通った。思えばこの頃から移動の星に生きてたんだな…

中学高校はそのまま札幌で過ごし、大学進学を機に上京。(といっても住んだのは神奈川の山の中)

高校までは真面目を貫き無遅刻無欠席だったが大学で全てが崩れる。とにかくアラームが一ミリも聞こえず、嘘みたいに朝起きられず、単位が全然取れない。

さらに2年以降はバイトにハマり、バイト後の飲みにハマり、より一層単位が取れず、3,4年でもぼっちで学校に行きまくる羽目になる。

ちなみに4年の頃のバイト先で偶然接客したお客さんが今の夫(10歳年上)。

ギリッギリの単位で卒業し、新卒で不動産屋の営業になるも、
業界の古さに圧倒される&フリーのエンジニアだった夫(当時は彼氏)にそそのかされてその頃大ブームだったフリーランスになることを決意。

IT未経験ながら独学でWebデザインを学んで9月に退職。

独立後は1年弱現場に常駐したのち、夫にくっついて家も現場も全て捨てて2019年7月にマレーシアに移住。

書きながら自分で引いてるけど、この頃夫とは結婚していなくてただの彼氏だし、移住先に仕事があるわけでもなく、家すら決まっていなかったのに日本の家も家財も全てを捨てて旅立ったのは正気の沙汰じゃなかった。若さは怖いですよ。

移住した結果マレーシアが気に入ったものの、ビザがないので勢いで現地就職を試みたところ、とんとん拍子に受かってしまい、英語もろくにできないのに外資系企業の社員になる。

2020年

入社後1年間はたまの帰省も挟みつつ順調に会社員していたが、2020年3月、コロナが来てマレーシアがロックダウンするぞとなったので、夫と結託して上司を猛説得しマレーシアを脱出。

日本に帰ったものの家がないので福岡で数ヶ月エアビー生活をする。このとき福岡の住み心地にベタ惚れする。

2020年6月なぜか大阪に移動してここでも数週間エアビー生活を送る。

2020年7月今度は東京に移動し同じくエアビー生活をスタートしたところで妊娠が発覚。※ずっと妊活していたので心底喜び倒しました。

その後悪阻が悪化したので夫の会社のメンバーが住んでいるシェアハウスに間借りを始めるが(なんで?)、悪阻でほぼ動けないボロボロの日々を若いメンズしかいない家で過ごすことに限界を迎え、都内のビジネスホテルに移動。ユニットバスにベッド1つのビジネスホテルで悪阻と闘う日々を送る(過酷だな笑)。

悪阻が治まってきたころ
「コロナによる入国規制が弱まって就労者は入れるようになったから帰ってこーい」
と会社に言われ、どっちにしろ出産はマレーシアでするつもりだったので帰国することにする。

ただ当時入国はできるものの14日間のホテル隔離が必須だったので妊娠11週の最中ビジネスホテルに軟禁される。

この時期のマレーシアの隔離はマジで半端じゃなくて、自分で選んだわけでもないビジネスホテルに一度入ったら2週間一歩も出られないし、日々の掃除も入らないから汚れ続けるというやつで、おまけにご飯も不味く食べるものがない、のに食べ悪阻が再発するという悲劇まで起こった。

夜中に気持ち悪くなって寝れなかったので、宅配スーパーで買ったコーンフレークを齧るなどしてたな。控えめに言って地獄。

さすがに精神的に追い込まれすぎて中盤の記憶はない。ただ言えることは、あの期間、我々に人権はなかった。

14日間耐え抜いてシャバに出た時の空気の美味さは忘れないですね。

その後仕事に復帰しリモートで働きながら現地の産婦人科に通って順調に7ヶ月くらいを迎えるも、なかなか改善の兆しが見えないコロナ禍での海外出産って「リスク高すぎなのでは…?」となってしまい、やっぱり日本で産むことにする。

出産場所をどこにするかの話し合いで、なんとなく「沖縄が良くない?身内はいないけど」となり(なんで?)帰国に向けてダッシュで準備し少し早めに産休を取り始める。

この準備もバタついたなー
我々はいつも急に物事が決まるから、手続きがバタつきがち。
わたしはのんびり屋なのでこれがまーーーストレスでしたね。

2021年

2021年1月、帰国後東京で自主隔離後沖縄に飛ぶもコロナ禍過ぎて楽しくない&希望してる無痛分娩ができる産婦人科が全然なさそうということで沖縄について4日で沖縄撤退を決め横浜に飛ぶ(アホ)。

横浜に来ても引き続き家がないのでデカいお腹でビジネスホテルで3週間ほど生活しながら夫の地元で偶然いい産婦人科と物件を見つけて一時的にそこに住むことにする。(これはエアビーじゃなくてガチ賃貸)

入居してから1ヶ月ほどした頃に娘を無事出産。その後5か月ほどその家に住み続ける。

2021年8月夫の提案で都内に引っ越す。と同時にわたしもマレーシアの仕事に復帰。在宅ワーママになるも6ヶ月ベビー育児との両立が過酷でバテる。

2021年年末から1か月弱夫が単身マレーシアのためわたしと娘で札幌の実家に居候する。部屋がなくて娘とリビングで寝る。その間夫が内見してマレーシアの新居が決まる。

2022年

2022年2月、マレーシアの会社とビザ申請の手続きを巡って揉めた末、突然辞める。

2022年3月、コロナ対策の関係で一旦タイに渡航し2週間ホテル生活。

2022年4月、マレーシアに渡航して家族3人での新生活スタート。会社の仕事がなくなったので子育てに専念しつつ、

「ビザ取得のためにきみが大学院に行くのはどう?」
「え、あり」

となってしまい、IELTSの点数を取るべく英語のガチ勉強をしたりする。(結局ビザ取得を延ばして勉強しなくなるが、その後マレーシア嫌になって撤退するので結果オーライ)

色々あって夫が福岡に家を買い、久々に日本の固定の拠点ができる。

2022年8月、夫が北海道マラソンに出るタイミングで札幌に帰省。2週間強過ごして福岡の新居に入居。

家具家電を買い集めながら1ヶ月ちょい過ごし、11月から夫の再度単身マレーシアのため札幌に戻ってまた1ヶ月居候。その間、いい機会だからと自動車学校に入り仮免まで取る。

2022年12月夫と合流してマレーシアに渡航。

2023年

この滞在中に色々と限界を迎え2023年いっぱいでのマレーシア撤退を決める。

2月、家の契約が切れると同時に日本に帰国。

夫がヨーロッパに行ったりなどしたので1ヶ月半娘と2人で札幌の実家に住みつつ、自動車学校に戻り免許を取得。

2023年4月に夫と合流し福岡生活スタート。

夫は引き続きマレーシアの滞在日数を稼ぐ必要があったので5月から10月まで単身で行ったり来たりを繰り返し、その間私はほぼワンオペに。

日本にいる間も別途旅行やら出張やらに行くので、ワンオペの日が増えすぎて次第に余裕になる。

2023年10月後半から年明けまで最後のマレーシア生活ということで、再び3人でマレーシア渡航。

過去最高に色んなウイルスにかかり、2ヶ月半のうち1ヶ月半は体調不良で過ごす羽目になったが、「最後だから」という心の余裕からそこそこマレーシア生活をエンジョイしたのち、無事撤退し2024年から福岡生活満喫中。


とまあ、、こんな感じのカオスな5年間を過ごしました。

自分で書いててもこの夫婦変。妊娠中の動きが特に。

正直もう移動とか海外とかはお腹いっぱいで、しばらくは福岡から一歩も動きたくないですね。

福岡に来る際はお声掛けください。美味しいお店探しておきます。


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