見出し画像

足助のおばさん in 沖縄 7

日曜日の夕方に遭遇した人込みは「世界のウチナンチュ大会」の前夜祭でした。
https://wuf2022.com/ja/
華僑と言うのが、世界中にネットワークを持つチャイニーズの皆さんであるのと同じように、3世代4世代を経ても沖縄にルーツを持つ皆さんが一堂に集う祭典でした。新聞の見出しなどには「県系人」という言葉が使われていました。沖縄の人々が日本にだけ向けて発信しているのではないということに気づかされた出来事でした。
私がスマホでウーバーの依頼をしていると、私より年配らしい女性が声をかけてきました。「どこから来たの?」と聞かれて「名古屋です」と答えると、「私はサンフランシスコだよ」と。来日したウチナンチュのお一人でした。スマホの画面に表示された日本語を見て「私にはできないね」ともおっしゃっていました。日本語は使わない生活をされているようです。
ウーバーで移動した先は、とってもお洒落なリゾートホテルでした。
https://www.gloryislandokinawa.com/sobe
ビジネスホテルとも違って、室内に冷蔵庫と電子レンジミニキッチンまであって長期滞在向きです。これは残りの滞在をここで過ごそうと思って連泊の申し込みをしようと思ったのですが、エクスペディアでは同じ部屋は頼めません。フロントで直に交渉しようと考えて1階に降りたのですが誰も出てきませんでした。
諦めて別のホテルを探すことにして部屋に戻る際、ロビーに置いたままの琉球新報が目に留まりました。その場で広げてみると、前城淳子先生がおっしゃっていた「琉歌」の応募作品が掲載されていました。すでに夜9時でしたので、これを持ち去っても咎められることもなかろうと、頂戴してきました。
実は、今回沖縄へ行ったもう一つの目的が田中邦裕社長にお目にかかることはできないだろうか、ということでした。無謀な目的ではありましたが「awabar」という有力な手掛かりを得ましたので、次の滞在先は「エナジックホテル山一」に決めました。
https://www.hotel-yamaichi.net/
こちらは完全にビジネス向きホテルで、1階に自由に飲めるコーヒーサーバーと共用キッチン、6階にコインランドリーとシンクがありました。ここで4泊するうちに那覇市内の様子をつかむことができました。(続く)(2022年11月11日 
 記)

(元ブログ 美ら海おきなわ文化祭 7: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?