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「アイとアイザワ」第18話

これまでの「アイとアイザワ」

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愛は、突然現れた年上の女性を観察していた。カメラアイの記憶によれば、その女性が着ている洋服はハイブランド「アンナ・キシ」のものだ。雑誌にも取り上げられていたドレスで、お値段は32万円。まさしく、愛が妄想していた歌舞伎町のいい女のイメージ、そのままだ。もしかすると、このドレスはプレゼントかも知れない。まだ着慣れていない新品のドレスを見て、愛は思った。それにしてもー。

よく見れば、その女性は注文すらしておらず、飲み物を持っていない。明らかに妙だ。愛がそう確信するのと同時に、女性はたどたどしく話し始めた。

「れ…例の…ブツよ。何が入ってるかは見てないし、何も知らない…。これをあんたに渡して、私はもう関わらない…。いいでしょ?」

「What?」モーリスはいきなり話しかけてきた女性に、明らさまな警戒心を向けられて、理解が追いついていなかった。日本語が分からないのだから余計にそうだろう。そんな事を御構い無しに、その女性は大きなバッグをモーリスの膝の上に、強引に置いた。そして、逃げる様に店を出て行ってしまった。


「…なぁ、英語の話せる姉ちゃんよ。今の女は何て言ってた?」モーリスは愛の方を向いて、両手を宙に投げ出す例のアメリカンなジェスチャーを見せてくれた。

「さぁ…よくわかんないよ。あなたに、それを渡しに来たらしいけど…。それ何?」

「そんなの知る訳ー」モーリスは、そう言いかけて止まった。彼は思わぬ所で心当たりがあった。以前もニューヨークで似た経験をした事があったのだ。とあるネタを追っていた最中、その関係者が匿名でタレコミをするために接触してきた事があった。ちょうど、今みたいな具合にだ。その時は大企業の汚職事件だった。ほとんどの密告者は身内にバレる事を恐れて、まるでバットマンみたいに正体を隠して接触してくるものだった。モーリスはその事が頭をよぎって、思わずこう口にした。

「NIAI…?」

愛は、心臓が止まりそうになった。さっきまで、ただの観光客だと思っていた白人男性の口から、まさかその単語が飛び出して来ようとは。1秒でも早くモーリスの正体を突き止めなければならない。愛達に、危険が迫っている可能性がある。

愛は、アイザワを強く握った。通常よりも熱くなっている。アイザワが、目の前にあるモーリスの携帯電話に侵入している証拠だった。次の瞬間、アイザワが振動し始めた。着信。液晶には「市川さん」と表示が出ている。

「市川さん」

これは、事前に愛とアイザワの間で作った暗号だった。電話をかけているのは、もちろんアイザワ。通話は、周囲に人が居て志向性スピーカーでの会話が出来ない時に、二人が自然に会話するための方法だが、その緊急度を表すために幾つか架空の名前を登録しておいたのだ。「市(1)川」「二(2)宮」「三(3)橋」と言った具合に。「市川」は、最優先である事を意味している。幸い、モーリスは日本語が分からない様なので、愛は口元を手で押さえつつ電話に出た。

「も…もしもーし…。」

「愛。彼の携帯電話に侵入しました。モーリス・リチャードソン。ニューヨークのローカルゴシップ誌、コンテンツスプリング社の記者です。彼はNIAIを追って日本に来た様です。ついでに彼のリュックの中にあるPCも覗いた所、実に興味深い書きかけの記事も見つかりました。これは後で共有します。」

「おっけ…それで…どうしたらいい?」愛は、すぐ隣に居るモーリスの顔色を伺いつつ返事をした。モーリスは動揺して、渡されたバックをこの場で開けるか否か悩んでいる様だ。確かに、ここは人目が多い。何が入っているか分からないバックを無用心に開けられないだろう。

「愛、結論から言います。ファーストフラグは、たった今回収されました。」

「えっ!?」愛は、思わず大きな声が出た。自分の声に驚いて、愛はモーリスに背を向ける。さっきまで影も見えなかったファーストフラグと呼称した何かが、訳も分からぬままに自分達の手中に滑り込んで来たのだから。

モーリスは意を決した様に立ち上がった。そして渡されたバックを開けずに担ぎ上げ、店を飛び出して行った。さっきの女を追うつもりだろうか。女性が店を出てから、まだ2分くらいしか経ってはいなかった。

アイザワは続ける。「愛、ファーストフラグが何だったのか分かりました。モーリス・リチャードソンにあのバックが渡る事。それを達成させる事がファーストフラグの正体の様です。そして、同時に二つ目のフラグーつまりセカンドフラグが未来予報されました。今から12分後、場所は新宿御苑。ここから歩いて10分程度かかります。すぐに出発しなければ、時間がありません。」

「分かった。いや、分かった様に見せかけて、どっこい全然分かってないわ。結局、ファーストフラグって何だったの?あのカバンの中身が世界の存亡を握ってるって訳?だって、このフラグを達成する事で世界大戦が回避できる可能性が高まるって話だったよね?モーリスっておじさんがカバンをゲットする事が、それ?つまり…どういう感じ?今って。」

「愛。あのカバンの中身は分かりません。私が侵入できないという事は電子機器の類では無い事は明らか。カバンが膝に置かれる瞬間を記録し検証していますが、そんなに重いものでは無い様ですね。いいですか、フラグが未来に及ぼす影響は、まさしくバタフライエフェクト。今大事な事は、あのカバンの中身よりも、二つ目のフラグを追う事です。」

愛は少し黙って、頭の中で様々な憶測に仮説を立ててみた。小説を浴びるほど読んできた愛にとって、フラグという表現は身近なものだったが、身近過ぎて言葉の意味について永らく考えた事は無かった。フラグとは直訳で旗である。物語におけるフラグは、後々の展開を引き起こす事柄を指している。つまり、モーリスがバックを受け取った事が、セカンドフラグにも続いてるはずだ。しかも、セカンドフラグは12分後。(この時点で11分後。)ここからの移動時間とほぼニアリーである。モーリスがセカンドフラグと無関係とは考えにくい。アイザワは、こういった根拠に乏しい推測、つまりは勘が苦手なので、この辺は愛の仕事であった。

「アイザワ、つまりこういう事じゃない?そもそもフラグっていうのは…人間なんじゃないかな。」

「人間ですか。」

「そうよ、だとしたら辻褄が合うわ…。ファーストフラグは、モーリス・リチャードソン。未来の鍵を握る男が、今飛び出して行った。次は何をする?」

「あの女性を追って…なるほど。彼女がセカンドフラグだと?」

「きっとそうよ…!だって…今頃モーリスは女性を探して走り回っているでしょ…。タイムラグがあったから、すぐには見つけられないかも…。そんで女性は何かビビってたみたいだから、きっとモーリスに気付いたら逃げる…うん!そして…!」

「12分後、新宿御苑周辺で追いつかれる…?」

愛は静かに頷いた。花が、お手洗いから戻った。


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