感情からキャラクターを生み出す。

今日は「天才を殺す凡人」の著者、北野さんと対談させて頂きました。

記事の公開はまだ先ですが、北野さんが対談の感想メモをnoteに書いてくれたので、ぼくも何となく書きます!

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「どうやってキャラクターを作っているか?」って質問に、その場で考えながら答えたんですが、自分的にも整理できて面白かった。

結論から言うと、ぼくは「人間観察」をほとんどしなくて、キャラクター造形を褒めて頂く際に「よく人を見てますね」みたいに言われる事が多かったんですが、振り返ると真逆で、ぼくは極端に他人に興味がありません。

会った人の顔も名前も覚えられないし、よく遊ぶ仲間の下の名前を知らないとか(!?)誕生日とか血液型なんて肉親のしか知らないし、出身地とかもまるで興味が無い。自分にとって、その人がどんな感じの人なのかという「感じ」しか覚えていなくて。それを、今日の対談では「感情しか覚えていない」って話しました。

過去作の「SNSポリス」とか「おしゃ子」とかも含めて、「人間観察」というよりも自分自身の「感情観測」って感じを、漫画にしているんだなって。SNS上のはっきり理由は分からないけど、なんかモヤモヤする事を「SNS犯罪」と呼んで笑いにするのと、同級生が雑誌で特集されてるのを見て悶々とする気持ちをエレンで描いてるのは、根本では同じ作業。人間観察との違いは、あくまで自分の中で起きている「反応」がメインなので、それがポジティブな事でもネガティブな事でも、感情の反応に関しては絶対的に本物だと言えます。人間観察は当たり外れがあるけれど、レッテルとかバイアスとか、そういうのあるけれど、自分の感情に関しては本物と言い切っても差し支えない。

台詞を書くときも「このキャラならこう言う」とかじゃなくて、自分の中にあるそのキャラ的な感情を引っ張り出してきて、そのまま言葉として言うって感じで。「キャラクター造形」って言葉も、ぼくにとっては大げさというか、そんなに立派な作業では無く、「感情の引用」というか。あくまで、自分の中にある本物の感情を、分類して、人格として組み立てている感じです。

以前のnoteでも書きましたが(どの記事か忘れたのでリンクは割愛しますが)自分と似ているキャラクターのトップ3は、意外と思われるかもしれませんが「光一、エレン、さゆり」です。この三人が、同じ人間の中に共存しているのが読者からすると意味わかんないかも知れませんが、普通の人間ってそれくらい幅があるものだと思います。それを、漫画のキャラクターとして描くと「キャラ崩壊」もいいところで、「昨日とキャラ違うじゃん、ブレてる。」って事が往往にしてあるのが現実だと思います。

このキャラクターを作る方法に関しては、結構他の人でも再現性あるやり方かもしれないので、どこかでガッツリ書きたいです。

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余談ですが、対談とかインタビューはテーマがハッキリ決まっている方が格段に面白いですね。今日の対談はとても楽しかったです、ありがとうございました。記事は近日出ますので、読んでください。

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