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「アイとアイザワ」第29話

ウォール・ストリートは騒然としていた。追突した二台の車の爆発の恐れもあり、渦中の彼らに近寄ろうとする者はいなかった。悲鳴に似たざわめきの中で、地面に倒されたモーリスはNIAIの二人を睨みつけた。

NIAIの大男・大谷は困惑していた。NIAIの所長が人工知能…?大谷の相棒・広尾はアイと初めて会った時の事を思い出していた。いずれ私を逃して良かったって思わせてあげる…そんな様な事を言っていた。アイザワと初めて会話した時、アイは何を知ったのかずっと気になっていた。

「大谷…そのまま逃すなよ…。オレが話す。」

モーリスは完全に吹っ切れている。もといキレていた。元々、古いタイプの記者だ。冷静な分析よりも熱血の体当たり。そんなスタイルがモーリス本来の性質だった。

「おお!いいぜ、全部話してやるよ…!いいか!?NIAIの所長って事になってるヤツはアイザックって名前の人工知能だ!そしてー。」

トリニティ教会に銃声が響いた。アイは銃声を聞くのは人生で二度目。新宿御苑の一件以来だった。あの時よりも発砲音が小さい気がする。銃の種類が違うのか。アイは外に出ることの危険が増した事よりも、まずモーリスの身を案じた。停止した大型車の隙間から車外へ滑り出ると、モーリスに駆け寄る。しかし、その足はすぐに止まった。

「モーリス…?いやよ…そんな…!!!」

銃弾はモーリスの右胸を突き刺した。彼を羽交い締めにしていた大谷も苦悶の表情をしている。弾丸は貫通し、後ろにいた大谷の身体に達したのだろう。モーリスは動かない。アイは広尾を見た。しかし弾丸は広尾の背後から放たれていた。そこにはー。

「あんた…何やってんだ!!山田さん!!」

山田所長代理。人工知能の様に冷静沈着な男。アイを旅の始まりから付け狙って居た最初の刺客。相変わらず表情の読めない顔で、平然と引き金を引いて立ち尽くしていた。

「弾が大谷に…って言うか…殺すとか無いだろ…!?ただの記者だ!!こんあの…話が違う…!!」

「つい今しがた、所長からお達しがあった。未来予報によれば、今モーリスを殺害しても私が罪に問われる事は無い。無論、大谷を巻き添えにしてしまったとて、ね。裁かれる恐れが無ければ、誰だって何だってするでしょう?」

広尾はもう、誰が味方なのか分からない。

「し…しねぇだろ…!!!どういう発想なんだよ…!人を殺してまで取り返したい人工知能って何なんだよ!?山田さん!!」

「明石家アイ。あなた達もエンダーの存在を知った様だな。私はね、別に世界大戦を望んでいる訳じゃ無いんだよ。エンダーの技術が欲しかったんだ。」

「ルミさん…お願い。車内のアイザワを拾って救急車を…。」

アイは震える声で絞り出し、今にも地面に座り込んでしまいそうなルミに目を向ける。モーリスはショックで気を失っている様だ。しかし血が大量に流れ出している。急いで病院に搬送しなくては持たないだろう。重症である事は大谷も一緒だった。勢いが弱まった分、弾は大谷の脇腹に残っている様だった。たった一回の乾いた発砲音が、二人の人間を殺そうとしている。大谷のうめき声が雑踏の悲鳴の中に聞こえた。

「山田所長代理…。どういう事よ…エンダーの正体を知っていて、アイザックに協力する理由って…!?」

「君の様な小娘には分からないだろうな…。私には子どもがいた。世界で一番大切な子だった…。そうか…生きていれば君と同じくらいの年齢だ。」

「…亡くなったの?」

「生まれる前にね。妻は15時間も手術室から出てこなかった。私はその間、同時に2人も大切な人を失う恐怖に震えていた。その15時間は、とてつもなく長く…長く感じた。そうして一命を取り留めた妻と私を待っていたのは…。」

山田は拳銃の引き金に指を置き、アイにそれを向けた。

「二度と子どもを作れないという宣告だった。」

アイは一歩、山田に近づいた。山田はそれに合わせて、一歩下がる。

「エンダーの技術を応用すれば、逆の事も可能になるはずだ。妻を再び子どもが産める身体にしてやる。そして…私はあの子を必ず…この手で抱いてやるんだ…。」

「例え、新しい命が授かったとしても、それは別の命よ…。」

「君に何が分かる?人工知能が齎すのは人類を超越した神の技術だ。人間を作る技術も、蘇らせる技術も、延命させる技術も手に入るのだ。私は必ず…あの時失った未来を、そっくりそのまま再現するのだ…。神の技術によって。」

「その代償に…世界大戦が起きてもいいなんて…!」

山田所長代理は、同僚の広尾も聞いた事が無い大きな声を出した。

「知った事か!!!自分の子ども以上に大切なものなど、存在しない!!人は誰しもそうだろう!自分の肉親と、世界を天秤にかけて、世界を取る事ができる人間なんて…人間では無い!それこそ…人工知能でも無い限り不可能な選択じゃないか!!」

サイレンが聞こえる。パトカーが次々とトリニティ教会の周辺に到着している。完全に包囲されていた。

「ここまでよ…山田所長代理。銃を下ろして。」

パトカーから警官が降りてくる。銃口を山田に向けて叫んでいる。

「はははは、余計な気遣いありがとう。しかし、私はここでは死なないし、捕まらない。アイザックがそう告げていた。未来予報は絶対だ。特にマンハッタンでのアイザックは最高性能なのだよ。それこそ予報の域では無く…さしずめ神の天啓。」

アイは確かに、山田が言っている事には共感できなかった。何不自由なく両親に育てられた自分にとって、山田の話は遠い世界の虚構に思えた。しかし、それでも涙が頬を伝う。

「山田…さん。銃を下ろして。お願い。アイザックは、あなたを切り捨てた。」

「何を言ってる…?」

「アイザックの思惑は単なる時間稼ぎ…。ここであなたが警察に捕まれば私達だって放っては置かれない。グラウンドゼロに到着する前に、きっと日付が変わってしまう。そうすればエンダーが完成し、最悪の未来が訪れる。」

「バカめ…アイザックには私が必要なのだ。ここで私が捕まれば…。」

「アイザックがあなたを必要として居たのは…今日この時までよ。」

警察が遠くで何かを叫んでいる。もう山田の耳には入って居なかった。銃声と共に、山田は地面に膝をついた。周囲の警官達が一斉に駆け寄ってくる。と同時に、ルミはアイに向かって声をあげた。

「アイ!受け取って!!!」

アイザワは宙を舞い、アイの手の中に戻ってきた。

「アイ…行って!!アイだけでもグラウンドゼロに…!!!」

アイは彼らを背に走り出した。警官の一人がアイの前に立つ。これほどの騒ぎだ、彼女を行かせる訳にはいかない。警官がアイを掴もうとした瞬間、広尾が警官の足にタックルをした。

「え…!?」

「行けよっ!!!行かせて良かったって思わせてくれんだろ!?くそっ!!何が何だか分かってねぇけど…とにかく俺たちが悪モンだったのは…分かったんだよ!!」

「NIAIの広尾さん。あなたがそうする事は、最初から予報していました。あなたが4人目のフラグだったのですね。アイ、それではグラウンドゼロに向かいましょう。」

「アイザワ、グラウンドゼロまでのルートを。」

「徒歩で10分、リバティストリートを直進。警官に捕まらずに到達できる確率は75%です。」


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