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「アイとアイザワ」第17話

これまでの「アイとアイザワ」

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喫茶リユニオンは、歌舞伎町の路地を少し入った所にある昔ながらの純喫茶だ。渋い木目のテーブルは、ヴィンテージ加工では無い本物の年代物。飛び抜けてコーヒーが美味い訳では無いものの、時間が止まったかの様な居心地の良い店内と相まって密かなファンは少なく無い良店だ。奥の隅のテーブルを陣取って、NIAIの社員・大谷と広尾は、店長自慢の水出しアイスコーヒーで一息ついた所だった。


「もう歩けないよ、広くん…。手がかりが無さすぎるでしょう…。アイザワを持って逃げた女子高生は、必ず最初のフラグを回収しに歌舞伎町に来る!って…ここまでは分かってるよ?でもさ…歌舞伎町って広くね?歌舞伎町のどこで、何をするのかさっぱりわからない。てか、そんならもっと人数増やすべきじゃね?NIAIの社員って200人はいるよねぇ?なんでオレ達ばっかり…。」


「大谷よぉ…そんな事は今朝からとっくに分かってる。それをわざわざ口にしても意味ねぇだろう…。オレ達ばっかり稼働してんのは、オレ達が営業職で、残りはみーんなエンジニアだからだ…。分かりきった事をボヤくのは、全然これっぽっちも意味の無い事だぜ。」


「営業の仕事じゃ無いよぉ、これ。」

「そんな事も、とっくに分かってる…。」

「…広くん。」

「お前さぁ…ちょっとは黙ってられないのか?」

「来た。」

大谷は静かに入口を指差した。広尾が目をやると、そこには例の女子高生、愛が席を探して店内を見渡していた。


「大谷、メニューで顔を隠せ…!店内で女子高生を捕まえようとしたらオレ達が通報されるからな…!店を出るまで見張るんだ!」

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喫茶リユニオンは注文の仕方だけは今風である。多くのコーヒーチェーンの様に、先にカウンターで注文し会計を済ませるスタイルだ。古風な外観とのギャップから、たまに年配の客が「注文を取りに来ない」と怒鳴る事もあった。


「甘い物食べたらコーヒー飲みたくなるよね。花は何にする?」

「フラペチーノ系ってあるかなぁ?あ、クリームソーダがある〜!」花はまだまだ糖分が摂取し足りない様だ。愛は花と付き合いが長いので、余計な事は言うまいと思った。その時だ。


「Hey…Where can I place an order?」愛は突然の英語にはっとして、振り返る。


観光客らしき白人男性が、注文の仕方が分からなくて困っている様だった。バックパッカーという訳では無さそうだが、大きなリュックサックを背負った長身の男。バツの悪そうな顔で、ブロンドの無精髭を指でさすっている。愛は得意の英語で(カメラアイで英単語は一通り暗記している。)丁寧に注文の仕方を教えてあげた。と言っても「スタバと同じ感じ」と言えば十分伝わったのだが。


「悪いな、姉ちゃん。注文、先いいかい?日本の伝統的な満員電車ってやつの洗礼を受けてな…。喉がカラカラで死にそうなんだ。」


「どうぞ。」と愛は先を譲った。花は愛の英語力を賞賛するべく海外ドラマの様に口笛をピュウと鳴らしたかったが、上手く鳴らなかった。


白人男性はキャップを脱いで、それでパタパタと顔を仰ぎながらメニューを見渡した後、またもや愛の方へ助けを求める目配せをした。


「あー、またまた悪いな。英語表記が無くて全然分かんねーんだけど…一番日本っぽいやつってどれかな?せっかくなんでよ。」


「日本っぽいもの…ですか。そうですね〜。これかな?」

愛はメニューを指差して、代わりに注文してあげた。それを、店員が愛想よく繰り返した。

その白人男性はモーリスと名乗った。時刻は15時。店内が最も賑わっている時間帯だ。席が限られていたため、愛と花は、モーリスと相席して座る事にした。ファーストフラグの手がかりも未だ見つかっていない。アイザワ曰く、フラグが近くに来れば具体的な事が未来予報できると言っていた。それが見つかるまで、愛は歌舞伎町を片っぱしから練り歩くしか無かった。


店内中央の大きなテーブルに3席だけ空きがあった。横並びに12席、12人が並ぶ形になる。愛は、最後の晩餐みたいだなと思った。奥からモーリス、花、愛の順番に座った。英語が話せない花を間に座らせるのは忍びなかったが、すぐ隣に他人が居ると落ち着いてアイザワに触る事ができない。そんな思惑があったのにも関わらず、花は席に着くなりクリームソーダをごくごく飲んで、数秒後にはお手洗いに吸い込まれていった。



「花は昔から落ち着かないなぁ…」愛は独り言の様に、アイザワに向かってぼやいた。至近距離に他人がいるため、アイザワは大人しくスマートフォンらしく振舞っている。


ふと、愛は香水の華やかな香りに誘われて、思わずそちらを見た。モーリスと愛の間に、女性が座ったのだ。長い髪の綺麗な女性。しかしテーブルの上にはしっかりと花のクリームソーダがあると言うのに、随分と乱暴な席取りだと愛は思った。先客がいる事に気が付いていない訳ではあるまい。


「あのぉ…そこの席は…。」

愛は女性に話しかけようと試みたが、こういった大人の女性の知り合いもいないので、急に緊張してしまって思いの外小さな声になってしまった。女性は、愛の決死の呼びかけも気付いてすらいない。いっそ、他に移れそうな席が空いていないかと改めて店内を見渡すも、やっぱり席はここしか空いていない。これでは、花が戻ってきた時に可哀想だ。もう一度、勇気を振り絞って女性を注意しようと思った瞬間、女性の手が震えている事に気が付いた。愛は、女性の顔を覗き見る。首筋に薄っすらと汗をかいているのも見える。この女性は何かを恐れて、怯えている様に見えた。

「あったかほうじ茶とまろやか酢昆布…。」

女性は呪文の様に、モーリスが注文したセットをまじまじと見て呟いた。

その女性ールミはここに来る間、何度も何度もそれを心の中で暗唱していた。喫茶リユニオンで、あったかほうじ茶とまろやか酢昆布を注文した白人を見つける。15時に、その隣の席が空くから、そこに座って託されたバックを渡す…。実に簡単な仕事だ。きっと小学生にでも出来るだろう。しかし、こんな簡単な仕事の報酬が1114万円。その金額が、この仕事が一筋縄では無い事を暗に語っていた。

ルミは深呼吸をした後、モーリスの顔を恐る恐る見つめた。


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