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人が走っているシーンでグッとくるのは何故なのか。

「共感」という言葉は、すっかりSNS時代のキーワードになっていますが、そこで語られる共感は幾つかの階層があって「あるある系」から「抉る系」まで幅広くあると思います。幅はあるけど、どれも感情に対する共感です。

ぼくは最近、もう一つ別の共感があるなと思い始めました。それは身体的な共感です。映画やアニメでも、人が一生懸命走っているシーンは、それだけでグッときます。「なぜ走っているか」という感情に対する共感もありますけど、とにかく走っている事が人を熱くさせる事もあるんじゃないかと思いました。

以前、なぜぼくらはドラゴンボールに熱狂したのかって話を居酒屋で後輩と話していたんですが、ぼくは「気の撃ち合い」という大発明があったんじゃないかと思ったんです。かめはめ波的なもの同士がぶつかり「うあああああ!」って言いながらせめぎ合ってるシーン、あれがめちゃくちゃ燃える。テレビの前で自分も力が入って観ていた。

バトル漫画好きなのでドラゴンボールに限らず読んでますけど、格闘シーンはドラゴンボールの系譜っぽいものは多い中で、気の撃ち合いはあんまり大っぴらに真似できない。あれをやってしまえば、一発で「ドラゴンボールやん」になるから。だから、色々と語った後に結論として「ドラゴンボールは気の撃ち合いがあったから最高に燃えた」と。

それで、あれが何でそんなに良かったのかと考えたときに「思わずこっちも力が入ってしまうくらい、主人公視点になっている」という身体的な共感があるんじゃないかと。誰かが泣いてるシーンも同じ事がある。涙が流れている描写だけで、思わず泣いてしまいそうになる。でも、怒ってるシーンは「なぜ怒っているか」って感情的な共感が無いと「何怒ってんだよ」って思ってしまう。涙は、生理的な事なので、パブロフの犬的な反応がある気がする。

余談ですが、泣くシーンはエモーショナルな演出で成立させる事は出来ても、怒るシーンはプロットがしっかりしてないと全然ノれないというのはあって、怒るシーンは難しいなって思います。クリリンが殺されれば良いんだけど、現代劇だと動機を積み上げるのが難しい。

アクション映画でビルから落ちそうになっている時、あともう少しで牢屋の鍵に手が届く時、観てるこっちも力が入っている。そういう身体的に反応するシーンを忘れないように覚えておこうと思うようになりました。

ホラー映画の「痛いいいい!」ってシーンは、近い話だけどちょっと乱暴だと思います。あくまで「せめぎ合い」というか、力が入り続けているシーンが良い。「オラ!」じゃなくて「オラオラオラオラオラ!」があっての「オラァ!」だと思います。あ、そうか。オラオラと無駄無駄のラッシュもすごかった。あれも最高に燃えた。

この事を考えるようになってから、「左ききのエレン」でも応用できないかと思い、色々と実験をしました。

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