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のらいぬ放浪記2.仙台

シルバーウィークの休みを利用して、宮城県へ旅行してきました。
東北への旅行は、学生時分に平泉へ行ったきりだったのでたいそう久しぶりです。
仙台・多賀城・塩釜・松島を見て廻りましたが、今回は仙台のことについて取り上げます。


仙台四郎のいた街

仙台という街の存在感

一応歴史をメシの種にしている私ですが、戦国期以前における仙台というまちの歴史については、実はほとんど知りません。
知っていることと言えば、律令期に陸奥国分寺・国分尼寺があったことくらいでしょうか。
また、伊達政宗についても、「戦国期の社会に関心はあっても、戦国大名個人にはほぼ関心がない」という私自身のスタンスから、ごく一般的な知識を持つのみです。
多分、そこらへんの歴史大好きおじさんの方がよっぽど詳しいでしょう。

かように、仙台は私の中で特段存在感があるとは言えない都市だった訳ですが、ただ一点、「仙台といえばコレ!」という印象深い事柄があります。

それは「仙台四郎がいた街である」ということ。


仙台四郎とは何者か?

「仙台四郎」とは、仙台(場合によっては近隣県まで)における土着信仰の対象となる商売神で、幕末〜明治期の仙台に実在した人物です。

知的障害がありながら地域で愛され、彼が自ら立ち寄った店は繁盛するという噂から、福の神的な存在として、信仰の対象となりました。
本名は「芳賀四郎」と言うようですが、一般的には「仙台(臺)四郎」として知られています。

私と仙台四郎の出会いは、諸星大二郎先生の『六福神』に、仙台四郎をモデルとした「福助五郎」なるキャラクターが登場していたことでした。

渚と潮が出てくるシリーズで、たしか舞台は東北だったと思います。
当初は(子どもだったので)仙台四郎のオマージュだとは分からず、本物のことは後に知りましたが、諸星先生の描く「土着信仰の福の神」のイメージはその後も強烈に残り続けました。

それならば、これを期に会いに行くしかないと!

三瀧山不動院へ

調べたところ、仙台四郎を単独で祀っている神社というのは無く、クリスロードにある三瀧山不動院が、中心市街地では唯一の鎮座地のようです。

三瀧山不動院は真言宗智山派の「加持祈祷専門」寺院とのことですが、開山は江戸最末期(大政奉還2年前)。
つまり、仙台四郎が実際に生きていた頃にできた寺院ということになります。
仙台四郎の偶像化が進むのは没後の大正期とのことですが、開山したての寺院が信仰を獲得するためには、流行り神的に人気のあった仙台四郎を祀る効果は大きかったはずです。

ビルに挟まれた不動院

ビルに挟まれた寺社仏閣というと、京都・錦市場の錦天満宮がすぐに思い浮かびます。
ビルに突き刺さる鳥居のビジュアルは強烈ですが、こちらもインパクトでは決して負けていません。 
もっと話題になってもいいのに。


ビルに挟まれた、というよりはビルの中に寺院がある、という感じに近いです。
アーケードに接するビルの中に、入れ子のように瓦葺の屋根や階段があり、異界感満載です。

2階から本堂?入口を見下ろす

しかも、ビルの中で本物の蠟燭を焚いている。
ちょっと火事が心配です。

また、アーケードからのアプローチが、短いながらも仲見世となっています。
現役の仲見世というのは、浅草寺くらいでしか見たことがなく、これはかなり貴重なのではないでしょうか。

お茶屋さん、お土産屋さんなどが入っている仲見世


肝心の仙台四郎は、本堂?入口の脇、2階への階段の上り口に祀られています。
本堂に参拝する方は結構いましたが、仙台四郎を拝む人はあまりおらず…
そもそも、仙台四郎を目的に来ている人は極めて稀なのでしょう。

仙台四郎

仙台四郎像を荘厳している?色紙や湯呑みは、仲見世のお土産屋さんで販売されています。
私も、記念にカードを購入しました。

仙台四郎カード、500円



おまけ〜酒場にて再会〜

その後、連れがニッカの宮城峡蒸溜所へ行くというので中心市街地の観光を切り上げました。
仙台四郎とはここでお別れ。

遠かった…

しかし、その日の夕食(第2ラウンド)をとった居酒屋で、小さな仙台四郎の色紙が飾られているのを目にしました。

そこは昔ながらの小さな個人経営のお店で、こういった都市の片隅に生きる土着信仰を目の当たりにし、文化的な多様性に思いを馳せながら杯を傾けるなどしました。

魅力的な誘い



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