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人生諦めたくなるほどに、人生に期待してる。

とっても悲しいニュースに、ありとあらゆるSNSにいろんな言葉が溢れている。
あのニュースについてどうこう思うことはなく、次の世界があるならば、どうか次の世界へ旅立った彼女が穏やかに全てのしがらみから解き放たれて、ゆっくり休めますように
そして、彼女が大切にしていた人たち、彼女を大切にしていた人たちがゆっくりと彼女との最後の時間を過ごせますように、と願うばかり。

わたしが神様だったら
こんな世界は作らなかった
愛という名のお守りは
結局からっぽだったんだ

世界が終わる夜に/チャットモンチー

母が亡くなって葬儀の時、自宅から葬儀場へ車を走らせていて、すれ違う車はこれから出勤するような人たちばかりで、人生最大の喪失で、世界が急に変わってしまったと感じている私にとって、当たり前に今日と大して変わらない明日が来ると安心しきっている彼らの顔にとても絶望したことを思い出した。

でも、きっと誰かの人生最悪の日にすれ違った私は、きっと当たり前のように10年後が来ると信じきった顔で誰かの悲しみにも、痛みにも気づかずにいる。

人は結局孤独で、明日は我が身だとうこともその時にならないと気づけない。

でも、そんな最悪な時も冬の夜のように長く感じるけど、振り返ったらたくさんの優しさと愛に溢れていた。友人が一緒に泣いて、一緒に笑ってくれて、一緒にいてくれた。家族が寄り添い、私の涙もそっとしておいてくれた。

人生最悪な日はたくさんある。人生何度も辞めたいと思っている人たちもたくさんいて。
でも人生辞めたいと思うほどに、人生に期待していて。生きることに一生懸命で。

他人の人生に口出ししている暇も、ジャッジする資格も、誰も持ち合わせていない。

わたしが悪魔だったら
こんな世界は作らなかった
命の砂時計は
結局からっぽだったんだ

世界が終わる夜に/チャットモンチー

人は人に傷つけられることもあるけど、人は人に救われることもあるわけで。
最悪な世の中だと感じる日もあるけど、最高な世界になってほしいという期待があるから、残された私たちはもうちょっと踏ん張ってみるね。

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