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恩師との再会

今年の後半の最大の出来事は、恩師との再会。
最大なんてもんじゃない、もう何十年も会ってない。
そんな、小学校最後の担任、恩師に会いに行った。
今会いにゆかないと一生後悔するとふと思いたち、
行動あるのみ。思い切って葉書を出してみた。
すると、ショートメールがかえってきた。
そんなこんなで早速会いましょうということになった。

こんなにトントン拍子で再会を果たせるなんてどうしたことだろう。
今年は、狩俣の神歌の件に始まり、会いたい人にどんどん会えてちょっと大丈夫かなと、やや困惑。
だけど、会えぬままで終わるなんてそれも嫌だ。
それは、あのドキュメンタリー『 Daijobu 』を観てからの影響は多大。
人生の中で一番最初に大人の階段を登り始めようとした際に、
ご恩を受けた教師、恩師にどうしても会っておきたかった。

恩師は、同窓生ならわかるだろうが、とてもナチュラルな先生。
理科の先生というのもあったかもしれない、山登りが好きで山や自然を愛し、
多くのことを教えてくれた。学校の枠を外れ、野道を歩き、川で釣りをし、写真の楽しさも気づかせてくれた。私はどうしようもない暗い子でクラスにいてもいるかいないかわからない程度の存在だった。そんな目立たない生徒を何度となく気に留めてくださった。大人気の放送委員に推薦くださり、放送用の原稿を書かせてもらえたり、図書係で学級文庫の整理をさせてもらえたり、修学旅行のしおりの作成や、学級新聞を刷ったり、写真係をしたりいろんなことをさせてもらえた。今の私の礎とも言えることをやらせてもらえた高学年だった。

母が丁寧に保管していた当時の通信簿の所見が今読むと笑ってしまうほどだ。

小学6年生の時の通信簿の所見


恩師への再会。
高尾インター出口あたりで長いトンネルがあった。
私はこのトンネルを潜るっている間、小学生の自分に戻れるんじゃないかとワクワク緊張しながら、車を走らせた。
着くとまるで昨日別れたような恩師は、元気におう!と笑顔で迎え入れてくれた。

恩師は、私との再会に丹沢あたりでの沢歩きを提案してくださった。
30数年ぶりに再会する場が喫茶店や瀟洒なホテルの飯屋でなくてよかった。
久しぶりに恩師と山を歩けるというのは何よりも嬉しい再会だった。

行って驚いた。
恩師は山登りの道具をあれこれ揃えてくださっていた。
履き物を慣らすために裏山のその昔テント張った場所へも行っておいでというので、行くと、裏山は神社に続く公園の一部みたいな場所だったので愕然とした。
昔はもっと木立が鬱蒼として山の入り口という感覚だったのに。
12歳やそこらにはそれだけで冒険だった。

山登りの準備ができると、恩師の車で目的地までいざ出発。
どこなのか詳しい場所はわからないがかなり走った。
車内が揺れるたびにリュックにぶら下げていたベルがからりんからりん鳴り、用意周到とも言える車内には自転車二台まで搭載されていた。
多分この車一台あればどこでも暮らせるんじゃないかと察したほど。

恩師は、私の体を気遣ってか、どのくらい歩けるのかと心配していた。
私は、ゆっくり休めば2時間程度は行けるんじゃないかと思います、と言ったものの自信はなかった。まあどうにかなるさと心の中でやり過ごした。

目的地に着くと、そこは人気のない山の入り口みたいな場所だった。
ここから下に降って沢を歩く。川とか水の中をじゃぶじゃぶ歩こうと言っておられたから、まさにその通りのコースだった。
歩く前に、茶を一服振る舞われた。
玉露。
お湯を沸かし、丁寧に急須で淹れてくださった。

「茶碗は自分で焼いたアレで飲めよ」

私の今回の再会の目的がこの“アレ”だった。
茶碗は当時の箱に入ったまんま保管くださっていた。
30年以上もちゃんと私が取りに来るのを信じていてくれた恩師。
ありがたかった。そして私は恥ずかしかった。恥だと思った。
でも気づけてよかった。のこのこ葉書なんか出すのはとても恥ずかしかったけど、勇気を出して書いてよかった。そして再会しようとここまでこれたのだ。
受け取った茶碗を手に、ひっ繰り返すと、作った時と自分の名前が刻んであった。いきなり時がワープした。


87年の11月だったとは



87年11月10日。
私は芸能界に入って間も無く、かなり悩んでいた時期があった。
こんなはずじゃない、なぜ脱ぐ仕事ばかりなんだ。
性質的に芸能界に向いてないのかと悩んだ。
演技をすることは楽しいのに、なぜか居心地の悪さを感じていた。
そして当時付き合っていた恋人のことでも悩んでいた。
そんな時、悩み事を聞いてもらおうと恩師に連絡をした。
恩師に会ったのはいいが、焼き物焼くか?と言われ、どこか山奥の焼き物をやる作業場に篭った。
手捻りだったかよく覚えてないが、そこで菓子パン齧りながら、夢中になって焼き物の土と向き合う自分がいた。
やがて悩み事もどこかに溶けてしまったのか、何を語らったか記憶もない。
覚えているのは、焼き物を作るためにひたすら土を捏ねていたことだけだった。
確か茶碗をこさえたと思う。
程なくして、母の所へ恩師から連絡があった。
茶碗が焼けたのでいつでもいいのでとりにくるようお伝えくださいとのことだった。
母はものすごく怒っていた。
困った時だけそんな気軽に先生のとこへ訪ねるもんじゃない、ちゃんと焼いてくださった器を取りに行って、お礼しなさい、恩知らず!と私を叱った。
その通りだと思った。
でも、時間はどんどん過ぎてとうとう行けぬままになっていた。
でもいつもどこかで気になっていた。
恩師は元気だろうか?茶碗のことを呆れていないだろうか?

「自分でこさえた茶碗でのむお茶は格別だろ?」
いたずらっ子みたいに笑っている恩師の顔は小学生の教師の時のまんまだった。
本当に美味しい玉露だった。お茶を一服いただいて、準備を整え我々は沢に降りた。

山の中でとっておきの玉露をいただく


「洞口が先を歩け。先生は後からついてゆく。
お前の好きな道をゆけ。先生はそれについて行くから。」
 戸惑いながら先を歩き始めた。
紅葉真っ盛りの沢には、人の気配はなく、水のせせらぎと鳥の声だけだった。
最初は楽しい沢歩きも、だんだん険しくなっていった。
道もよくわからない。どっちへ行けばいいのか。
正解などない。どこ歩いてもいいんだぞ、恩師は促す。
そしてだんだんキツくなってきた。険しい道。水中をジャブジャブ歩き、急勾配をよじ登り、もうだめだ道はないです!と、弱音を吐いたりもした。
「みち?ないわけないだろう。まだ先まで行くんだぞ。よくみて考えろ」
ああ、あの小学生の頃と同じ先生の姿が蘇る。本当に怖かった。でも笑顔に救われた。この人には邪気がない。悪気なんか毛頭ない。学んでいくうちに少しずつ信頼した先生だった。

道なき道を歩く。沢を蛇行しながらあちこちよじ登り、じゃぶじゃぶ渡り、時折冗談なんか交えて。小6の生徒と先生がそのまんまそこにいるようだった。

「さっき下見たか?獣の穴があったぞ」
「そんなの見る余裕ないですよ、先生!」
そんな会話をやり始めた目の先に、ある光景が飛び込んだ。
「これなんだと思う?」
「さあ。なんでしょう。あ、動物の足跡がありますね。なんですか沼ですか?」
「これはさ、さっき下に獣の穴があったって言ったろ?」
「はい」
「これはさ、動物が体についたダニなどを泥に擦って洗う場所、ヌタバというんだ。ここには動物の足跡がいくつもあるからよく見てごらん」
「そうなんだ、へえ。面白いですね、どうぶつ温泉ですね」
そんなやりとりをしながら何頭の獣か、その種類は何か、そんなことを足跡の形から想像した。こんなやりとりも小学6年生の時のままでなんかホッとした。


ヌタバはどこか神聖な空気が漂っていた

1時間ほど歩いただろうか。汗もびっしょり。自分が何してるのかわからない。
石ころだらけの沢は足もとがとられ、先々の道は誰からの案内もなく自分で決めなきゃならない。自分でもわかっていて遠回りすると、「洞口はどうして険しい方へと選んで行くかな。こっちが簡単だろう、でもそっちいきたかったんだもんな、面白いじゃないか」励ましてくださりながらも、ああ私は険しい方へ行く習性があるのかもしれません、とほほとか笑いながらひたすら歩く。
もうだめだと根をあげそうになって、無理するな帰ろうという流れにもなった。
だけど、私は諦めたくなかった。
なぜだろう。諦めることは容易いのに、諦めたくなかった。
沢登りをして落ちてもいいと思った。命綱もつけていたし、死ぬわけじゃない。
自分の直感を信じて自分の選んだ道を登りきってみたかった。
恩師が私のために考えたコースを、
冒険心?何かわからない突き動かされる何かをあの沢で感じたのだ。

最後の急勾配で落ちそうになったがなんとか引っ張ってもらい、ファイト一髪。
なんとかゴールできた。なんだろうこの達成感。
帰り道の途中、丸太に並んで座りみかんを食べた。
私の服についてやしないかとヤマダニや虫を気にしておられた恩師に親のような愛情を感じた。みかんを頬張りながら、沈黙が流れた。
私は堰を切ったように号泣しカナダでの出来事や親のこと今の体調のことなど話せていなかったことを泣きながら訥々と語った。
恩師は、ただ黙って聞きながらみかんを食べていた。
食べ終わって、語り尽くしひとしきり泣いたら、元気が出た。
さっき歩いた沢を眼下に紅葉で敷き詰められた山道を歩いた。
帰りは15分くらいで着いた。
1時間以上も沢を彷徨い。獣道を歩き、見たことのないヌタバを発見し、
どうぶつ温泉だ!とか言いながら楽しかった時間。

帰宅して寝る前に、昼間歩いた沢のことを思った。
私のいない風景、誰もいない沢。夜は動物たちがいる。
水のせせらぎは清らかに、鳥たちは冬籠をするためにうろで眠り、
太陽は明日も昇る。
恩師もひとり山を歩いているだろうか。
小学生の時に恩師が生徒に教えた、山賊の歌が脳内再生される。

夜になれば 小川ができ
風が吹けば 山ができる
ヤッホ ヤホホホ
さみしい ところ
ヤッホ ヤホホホ
さみしい ところ

恩師と歩いた道

林先生へ。
今年お会いできたこと忘れられない時間となりました。
どうもありがとうございました。
あれから土を歩く楽しみを覚え近所の緑道を歩いています。
先生が霜なんか久しく見てないだろうとおっしゃっていました霜を久しぶりに見つけました、武蔵野の冬ってこんな感じでしたね。
また会いにゆきます。
どうぞよいお年を。

元6年4組 洞口依子より


踏みしめた霜柱







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