Yorico Doguchi

のら猫書簡をはじめました 往復書簡にはお返事がときどきあります

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最近の記事

飾りじゃないのよ

こないだ、原口智生さんから面白いビデオがあると聞いたので みた純烈の戦隊ヒーローモノに、八代亜紀さんが出演なさっていた。 あまりにもかっこよくて泣けてきた。 しみじみ「おんな港町」や「なみだ恋」を久しぶり聴いて心沁みた。 八代さんの歌はいいなあ。 八代さんは膠原病の何かだと聞いていた。 突然悲しみがうわっと押し寄せてきたので、自分の心を整理したくなった。カナダで撮影した大きな作品も無事全部配信も出揃った。 もう、私は次章へ進まねば。あれを大きな布石として。 それにしても、よく

    • 私のおみおつけ

      『赤いハンカチ』という映画にこの場面は出てくる。 あの浅丘さんの最初の登場シーンだったと思います。 彼女が「私のおみおつけ」と軽快に口走るのです。 彼女はまち工場に自転車通勤する娘で、豆腐売りを呼び止めて、豆腐を買うんです。そして、裕次郎扮する刑事にこうかけるのです「私のおみおつけとっても美味しいんですよ」と。そして娘は勝手口でおみおつけをご馳走するのです。 このわずかなやりとり。彼女が口走る「私のおみおつけ」という言葉の響き。 屈託のない表情、軽やかな声の響き。 「へそまで

      • 恭喜發財!平平安安!健健康康!

        春節を迎え、益々の平安と健康を祈って施設にいる母へ会いに行く。 春節ということで、紅抱渡すにも母は「ここではお金は使えないから不要」というので、普段口にできない甘味、不二家の紅い苺のケーキを買って行った。 不二家は母の好物だったということが今になって理解できた。 昭和14年生まれ、田舎育ちの母には不二家は憧れだったのかもしれない。 幼い頃よく目黒駅前の不二家に行ったのは私が好きだったわけじゃなく母が好きだったからだ。 痛み止めで抑えながら1時間半ほど運転。 調子が悪いと痛

        • ムーチービーサ

          ムーチービーサ。 不思議な言葉だが、この時期なんとなくこの言葉が不意に出てきてしまう。 寒さの中ポケットに手を突っ込んで歩く帰り道、プイと唇を突き出し「ムーチービーサ」と思わず不思議な言葉を口ずさんでみる。 これは沖縄の方言で「鬼餅寒」という沖縄のお菓子を食べる寒い季節のこと。 旧暦の12月8日の寒い時期に、特に子供がいる家はこのムーチー(鬼餅)を作り邪気払いや健康祈願をするんだそうな。それをムーチービーサというらしい。 あちこち色んなお菓子がある中でも郷土のお菓子が好き。

        飾りじゃないのよ

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        • ryo-king
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        • Ryo
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        • ヨシミ
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        • nee
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        記事

          それ、ずっと履いてるんですか?

           昨日、所用のついでに靴を買いに行った。 その時に、ちょっと考えさせられたことがあったのでメモを残しておく。 私は2004年子宮がん治療のため下肢リンパ郭清をしたので、リンパ節をとっている。これをなぜやるかというと、がんがリンパを通じて転移すると言われているから。だからリンパ周りも多めに切除する。その際、リンパ管もいじるわけだが、それでもリンパはバイパスを伝って流れてゆく。人間の体って不思議だ。そのリンパ管は失って再生されなくても、他のリンパ管を通じリンパ節を通過してリンパ

          それ、ずっと履いてるんですか?

          KST、連綿とつづくわが儚き人生

          2024年のらハジメ。 クリスマスに洋書のタッシェンから買ってた分厚い本を「読み初め」として開くと、そこにはあのキューブリックがいかにしてナポレオンという人物についての映画を撮りたくて撮りたくてたまらなかったか大きく溜息が漏れてしまうほど。 膨大な画像の数々。オックスブリッジの歴史研究者との綿密なやりとり、衣裳や小道具など細部にこだわった準備の写真などなど。映画会社との手紙のやり取り、メモ、テキスト、スクリプト、ああああ。現代のようにそれぞれのパソコンなどにデータ保存なんかで

          KST、連綿とつづくわが儚き人生

          恩師との再会

          今年の後半の最大の出来事は、恩師との再会。 最大なんてもんじゃない、もう何十年も会ってない。 そんな、小学校最後の担任、恩師に会いに行った。 今会いにゆかないと一生後悔するとふと思いたち、 行動あるのみ。思い切って葉書を出してみた。 すると、ショートメールがかえってきた。 そんなこんなで早速会いましょうということになった。 こんなにトントン拍子で再会を果たせるなんてどうしたことだろう。 今年は、狩俣の神歌の件に始まり、会いたい人にどんどん会えてちょっと大丈夫かなと、やや困惑

          恩師との再会

          猫のいない世界

          相棒猫・ニャーリーが骨猫となった2023年。 初めての夏はまだ良かった、夏は忙しなく暑くて過ぎた。 問題は秋からだった。秋は本当に身に沁みた。 その辺を歩いているだけで、ニャーリーを思っては涙した。 舞い落ちる枯葉に、川の水鳥や、キジバト、草花、風、とにかく骨猫のことを語りかけた。彼女は骨になっても愛らしく気高く美しかった。 そもそも、いわゆる世間が可愛いと思うような猫とは違った。 誰かに写真を見せても、わああ!可愛い!という飛びつくような反応もなく、でも私にとってはとびきり

          猫のいない世界

          2023年に出会った音たち

          びっくりした。 偶然買ったレコードからこんなに連鎖するとは。 猫好き連鎖って凄い。 片岡知子さんはマニュエラオブエラーズ所属の音楽家ですが私は全く知らないでいました。まずこれは恥ずかしいことで、某CMで彼女の楽曲が使われてそれで知っていました。当時そのCM見るたびに猫のニャーリーと踊って見るほど好きでしたが誰が歌ってるとかそこまで調べませんでした。下高井戸に越してからのらのら散歩してたら偶然このレコードを入手しやっとプレイヤー繋げて聴いたらこの曲が4曲目に入ってました。猫好き

          2023年に出会った音たち

          『DAIJOBU』を観た後に感じたこと長文

          みんな元気にしてるかな。 neeさんも武富一門も今年はたくさん沖縄方面ではお世話になった。 しかし今年は死に損ないになったりとっても疲れた。 東京は秋のベールが降りてきて、あの狂ったような酷暑が嘘のように穏やかな気候で過ごしやすい毎日。怒涛の夏のイベントも終わり、おかげさまでなんとか。 そうそう、宮古狩俣の神歌に関する新里御大にも出会えた貴重な年でありました。人生60年近くなりますと、どこかで人生をいつまで迷っているんだとどこまでアホなのかと自分を飼い慣らすことさえままならぬ

          『DAIJOBU』を観た後に感じたこと長文

          発酵する旅

          neeさん、この夏の宮古での旅はいろいろお世話になりました。 まさかこれまでの沖縄の旅がこんなに深いものになっているとは、91年に初めて沖縄伊是名島へ映画ロケした頃の私から想像できないです。  91年に沖縄に来たときは、沖縄のことなにも知らなかったし、2007年に初めて単身宮古島で1週間ほど過ごした際にも、宮古の歴史や文化なども知らぬままでした。それが映画ロケで一緒だった琉大映画サークルの連中をはじめ、単身の宮古ではまず突然海から上がった私が農道で出会した2人の老夫婦を助

          発酵する旅

          ぬいぐる民

          いつの間にか、私はぬいぐるみを相手に1日の始まりと終わりを過ごすようになっていた。 はてさて、私がぬいぐるみを傍にしたのはいつなんだろう。 写真を検証するとあれこれのぬいぐるみたちの記憶が蘇る。 それは肌触りだったり、表情だったり、語り合いじゃれすぎたせいでボロボロになったパーツの愛嬌だったり、さまざまに記憶が刷り込まれているものだった。 幼少の頃からぬいぐるみは好きだったと思う。 中でも、母親が作ってくれた小さな白いクマか何か得体のしれぬ愛嬌のあるぬいぐるみが好きだった

          ぬいぐる民

          汝の立つ場所を掘れ 

          また何をしてるんだかな私は。 それやってどうするの? そう、いつからか沖縄好きが高じて琉球スタディなるフィールドワークをやるようになった、といっても、極々私的でのらのらと散歩するノリにも似たもので、まさにそこにはいつだってのら猫が「お!きたにゃ!」と言わんばかりの髭面で待ち構えてい位ののら猫的ノリなのだ。 そもそも、何がきっかけだったか。 それは首里城の火災だったかもしれない。 いやもっと遡ると嘉手納マリーナ基地内にそっと見つけた野國總監の墓だったかもしれない。あれには驚い

          汝の立つ場所を掘れ 

          死に損ないのくたびれ儲け

          それは何の前触れもなく突然やってきた。 明け方3時くらいから発熱。40度近くある。どうかしたんだろうか。 翌日、今年度から引き受けたテレビ局の審議委員の最初の会議があった。 そのことで私は緊張していたのかもしれない。だって、あたしだよ。 有名大学出の何かキャリアがあるわけじゃなし、ボンクラと言われ続けて58年。 今更何もどうも変わりようもなく、健康だけが取り柄だったものの、それも38歳で叶わなくなった我が身を振り返ったところで、どうすることもできない。子宮がんになったことを今

          死に損ないのくたびれ儲け

          If…

          neeさんご無沙汰です。お元気でいらっしゃいますか? お返事遅くなりました。 宮古島でダニエルズの新作を観たという感想を読んで嬉しかったです。 人が人生の中の数時間を映画を観るために時間を作るって、俯瞰で思うとそこに生じる小さなドラマがあったりするんだろうかって、スリリングだなあってちょっとドキドキします。 私はダニエルズを最初はカナダで見ました。シネコンで。精神的にも肉体的にもちょっとばかり疲弊してた時だったせいか、字幕なしの情報量の多いカオスについてゆけず気づくと居眠り

          『白鍵と黒鍵の間に』初号試写から派生した感情のリヴェット

           思えばこの映画の存在を知ったのは今から3、4年前になるだろうか。  まだその映画は映画としての実態は曖昧で、制作に向けて始動していルノかと思えば、そうだと決定的な答えもなかった。  奇しくもそのとき、私は、監督と原作者とプロデューサーもそこにいて友人たちと共に自分の誕生日を過ごしていた。  そしてそこにやってきた私の文春担当者がある一冊の本を鞄から出してきたのだ。それはそこにいる原作者のその著作本そのものだった。 映画化に関して何も知らぬ私は、これを映画化したら面白いのにね

          『白鍵と黒鍵の間に』初号試写から派生した感情のリヴェット