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ぬいぐる民

いつの間にか、私はぬいぐるみを相手に1日の始まりと終わりを過ごすようになっていた。

はてさて、私がぬいぐるみを傍にしたのはいつなんだろう。
写真を検証するとあれこれのぬいぐるみたちの記憶が蘇る。
それは肌触りだったり、表情だったり、語り合いじゃれすぎたせいでボロボロになったパーツの愛嬌だったり、さまざまに記憶が刷り込まれているものだった。


なぜか自分は狭い場所へ入り込みクマちゃんを前に写真に収まる私

幼少の頃からぬいぐるみは好きだったと思う。
中でも、母親が作ってくれた小さな白いクマか何か得体のしれぬ愛嬌のあるぬいぐるみが好きだった。それは弟とお揃いで、私が白いの、弟はベージュで、その色合いから察するに、クマじゃないかなと思われる。そうやって母は得体の知れぬ架空の生き物みたいなぬいぐるみを洋服のハギレや不要になった靴下などで、よく私にこさえてくれた。どうしてだろう。
私は、コメットさんに出てくるベータンという謎の生き物が大好きで、それからだと思われる。
当時、あれが欲しくて欲しくて、ねだったんだと思う。
よく見ると、あれははぎれでできているような、可愛いぬいぐるみだった。
画面上で器用に動くものだから、てっきりコメットさんが呼んだ謎の生き物だと信じていたのだから、テレビ局も大したものだ。こんな画像を見つけたので、貼っておく。仰天である。


なんとTBS制作。夢のある子ども番組だった!

子どもの頃からぬいぐるみを愛する私だが、最も愛したものが、母お手製の「ママ」と名付けたこれも謎のぬいぐるみだった。ある時、私が20代の頃。海外へドラマの撮影で長く滞在するということで、母が送ってくれた救援物資の中にあったものだった。お菓子や洋服や食料が詰まっていた段ボールの中の、しかも一番上に燦然とあったその謎のぬいぐるみ。あまりにも謎に満ち溢れていたので、気に入ってどこへでも持っていた。私のワンピースを作ったハギレでこさえたママの服には襟にはレース、思えばポッケもついていて、なんだかベータンをちょっと彷彿させる。でも、そんなママを最近見かけない。かなり長い時間一緒にいたママ。猫のニャーリーの乳母もした。猫が噛んだせいもあって、顔のパーツもヨレヨレになっていた。大事にしまっておこうと引越しの最中で箱にしまったのか、家のどこかに眠っている。


ニャーリーとママ


私はどうしてぬいぐるみが好きすぎて、とうとうどこへでも持ち歩くようになっていた。ある時、小さなミッフィーのぬいぐるみを従えて、フジテレビの笑っていいとも!に出演したこともあった。世界一頭のいいカエルのカーミットもそうだ。カーミットに関しては、世界中旅するのにどこへでも連れて行った。メキシコのピラミッドも、イビザ島も、スペインのガウディも、キューバも、カリブも。そしてどこへでも行って、一緒にベッドメイキングされた時のおもしろショットを撮影していた。メイドにとっては単なる客のぬいぐるみだろうが、掃除する人にもぬいぐるみ好きがいるんだろう、丁寧にタオルを腹にかけてやっていたり、真ん中に堂々を寝かせていたりする時もあった。どういう思いでぬいぐるみのいるベッドをメイキングしているんだろうと想像すると面白い。


小さいものはロケのおとも
あちこち連れて行ったカーミットもヨレヨレである


撮影で長期滞在することになったカナダのバンクーバー。
ありったけのぬいぐるみたちを従えて出かけて行った。
マイアミのババガンブシュリンプレストランで買ったエビ、タコのオーリー、眠りウサギ、アサリ、ヤドカリー。現地調達で、タコのオーリー2も加わった。
寂しい時は一緒に語らい、泣いて、眠った。ルンバに乗せてみたり、一緒に雨や夕暮れを見たり、撮影所にも持参した。私は57歳にもなってバカじゃなかろうかと思う時もあった。でも生まれてからずっとこうしてきているものだから、バカももうしみついてしまった。それにこいつらがいないと私は寂しかったし、楽しくなかった。毎日バカなことを語らう相手になってくれたし、言葉が出ない時はぎゅっと抱きしめたり、見つめるだけでも心のさざ波がおさまった。


タコのオーリー1と2
バンクーバー同行のぬいぐるみーず
ルンバに乗ってお掃除ぬいぐるみーず
ベッドメイキングされたぬいぐるみーず
文春元担当にパエリアの具材みたいですねと言われたデリシャスなやつら



ある時、ベッドメイキングされた寝室に戻り、お前たち!と点呼しようと思ったら、2名の返事がない。アサリとヤドカリーだった。あっちこっちせっかくベッドメイクしたものをひっくり返して探したがどこにも見当たらない。聞いてみたが何週間経っても捜索かけても見つからない。牛乳パックに広告を出そうかとも悩んだが、きっとどこかのランドリーに巻き込まれて今頃は誰かのぬいぐるみとして可愛がられていることだろうと、無事を願った。日本のぬいぐるみは可愛いからきっと気に入られたに違いないとか。残されたぬいぐるみたちと一緒にバンクーバーでの撮影を乗り越えた。

ニャーリーの通夜には、ニャーリーを愛した奴らを彼女の傍に置いた。
私が愛してやまぬぬいぐるみたち、ぬいぐるみーずは、いつでも私を元気付けてくれる友達。最近、ちょっと人間が苦手だなと思う私に、そんなことないって、みんなヨーリーがいてくれるだけで、いいんだよ、何もしなくても、いてくれるだけで。そんなふうに勇気づけてくれているような、いやそれは私が勝手に言ってるだけなんだけど、そうでもしないと、潰れちゃいそうになる時もあるってことなんだ。


カナダから来てニャーリーを一目惚れで結婚した夫であるオットちゃんも傍に

そう。ぬいぐるみはずっと友達なのだ。
そう。そんな“ぬいぐる民”がきっと私だけじゃなく、世の中にいることを私は愛しく思う。

そう、もしやあなたは、ぬいぐる民ではありませぬか?

私が認知症の母へこさえた謎のぬいぐるみ

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