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【結論】偏食っ子には一品弁当でよい。

明日から小学校の新年度がはじまる。ということで、春休みのお弁当生活は一旦ひと区切り。

我が家の偏食ボーイ、色々と食べるものも量も増えたとはいえ、これが弁当となるとそのハードルは途端に高い。

「あんたには人の心ってもんがないんかね!!」と叫びたくなるくらい、容赦なく残してくる。
喉もと過ぎてすっかり忘れてたけど、去年の夏休みに、そういえば一旦心が折れたんである。

いつも半分くらいは生ゴミいき。
ウインナーだけしか食べてこない日も幾度かあった。
そうなればこっちは当然毎回、アフリカの子供たちやフードロスの話なんかを持ち出す流れとなる。

まず、お弁当といえば!の、卵と生のトマト。
これが完全にNG。大半の野菜NG。甘めの卵焼きに唐揚げ、ミニトマトみたいなことは通用しない。別容器で添えるフルーツもたいてい手付けず。

夕食に温かい状態なら食べられるおかずも、冷えたり固まったりしてしまえば息子の感覚センサーに引っかかってしまう。ほかのおかずの汁がついてたとかも落とし穴。 

一応学童で注文できる宅配弁当もあるのだ。だから聞いてはみたけど、春休みも毎日母のお弁当がいいという。
ぜったいママのお弁当がいい!とワクワクした目で言ってくる。

おい、おめぇよぉ、、そんなテンションならさ、もっとたくさん食べてくれよな。。(悟空)

だけど、わたしも悪いのだ。
弁当となるとなんか彩りを気にしてしまい、
イチかバチかとは思いつつ、毎回やっちゃってるのだから。

色がほしいというだけの理由でスナップエンドウをねじ込んだり、ごはんの上にちょっと大根菜のふりかけをのせたり、きんぴらにパプリカ入れてみたり、強迫観念にやられて緑とか赤を欲してしまい、余計なものをいれる。
息子からすれば迷惑なことだ。

で、いらんことした結果の撃沈。夕方、ずっしりと重い弁当箱との対面。自業自得なのだ。

だからもう、キッパリサッパリやめることにした。
春休みは、必ず食べる一品のみで勝負に出ると決めた。フルーツもなし。

弁当は、作品ではない。
弁当への憧れを捨て去る。

焼きそば!
天むす!
ハムチーズサンド!
タコライス!!!

息子の好物、一種を詰めるだけ。
※なんか大きく見えるけど小さい弁当箱です

しかし初日の焼きそばは、「とはいえ、一品ならせめて具で栄養を…」という気持ちがだだ漏れてしまい中途半端な仕上がりに。
「具が多すぎたから残したよ」と帰宅後息子に言われる。(ぐはぁっ!)

欲を出しすぎ失敗例。

それ以降は、潔く心を入れ替えた。
本人が少しでも食べなそうなもの、量は入れない。考えれば当たり前のことである。

わたしは前に、幼児向けのお弁当本を編集したことがある。
はじめて我が子のお弁当を作る人をターゲットにした、かわいらしいお弁当の本。
主菜、副菜、ごはんと分けて。なんなら副菜で、緑のおかず、とか、赤のおかず、とか色分けまでやっていた。そういう構成にしたのはわたしだ。
いま、自分の罪を身にしみて振り返った。


ばっかもーーーん!!!

大罪である。
詐欺の片棒かついでたくらいの罪悪感。

お弁当には、何種かのバランスよい色味や栄養を意識するべしという押しつけ。そういうものだという、無意識への刷り込み。それがジャパニーズ弁当。

もちろんそんなお弁当やアイデアを喜んでくれるこどもも親もいるとは思う。
でも、実際そうはいかない人の心にも寄り添う配慮をしていただろうか?食べるこどもにも作る親にも負担をかける内容になってなかったか。

まるでこれがスタンダードと言わんばかりに美しい絵を見せて、いらぬプレッシャーを新米お父さんお母さん達に与えていたのではないか。

わたし自身がそれに囚われ、食べる当人の息子ではなくどこか世間のほうを見て弁当を作っていたような気がする。

弁当を一品にして、色んな肩の荷がおりた。
これなら絶対に食べるという数種類を繰り返せばよい。

また弁当箱に焼きそばを詰めてたら、息子が踊りながら歌って通り過ぎた。
「きょうもやきそばー、ひゃっほうひゃっほうーやきそばーーさいこうー♪」

息子もお喜びだ。
これでいいんである。

我が子に合うお弁当は、それぞれ違う。
それを一番分かってあげられるのは、家の人だから。周囲は気にせずいきましょう。


以前の偏食に関する記事はこちら↓


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