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2023人生記念すべき強制ストップ

「鬱をやってしまって・・・」


2023になった瞬間の1月1日、コロナで倒れた。
そこからとうとう布団から起きられなくなった。
2月、友人からの勧めで精神科を受診。
鬱とはっきり言わないけれど、「休んでください」と先生が一言。

俗に耳にしていた、これが“強制終了”ってやつなのかな。
ジブンにそれが起こることがあるなんて思わなかったな。

茫然としていた。これからどうしたらいいんだ、と。
と同時に、とてつもなくホッとしていた。
(もう、行かなくていいんだ。行かなくていい許可書が下りたんだもの。)

だけれど、そこからほぼ1年間、わたしの内側は地獄の極みだった。
どん底を這いながら、とことん自分と向き合わされる過程。
こんな地獄ってあるのか、わたしが何をしたってんだ。
神も仏もあるものか。全てに見捨てられた、見限られた。
地獄のパッケージに閉じ込められて逃げ場のない感覚。

そんな神に見捨てられたような2023年の最後の最後。
奇跡的に救いの手が差し伸べられる。
散々見捨てられてきた、もしくは地獄に叩きつけてられてきた神から突如

「よくこの1年間頑張って、ここまでたどり着きました」

と修了証を手渡された気分だった。

その修了証は、真っ白でささやかにきらきら光っている
なんだか羽のようなふんわり軽い。
泣きじゃくり叫ぶ私の手にそっとほわっと置かれた。

年の初めの強制終了のときのホッとしたのと異なる
心底からの安心感だった。
ひとつステージを終え切った、次の扉を開けていいよという許可証だったように思う。

ヒトはどうして生まれて、生きて、死ぬのか。
そのことをこの2023の一年間、43歳の時代に腑に落ちたとでも言ったらいいかな。
だとしたら、この経験は、鬱の光明だったのかもしれない。

修了証を手にして、涙でぬれ切った顔を上げたとき
この経験を残していかなければいけない気がした。
これを残すことで、救われる人が居る気がした。

「昭和の負の連鎖を断ち切れ」

とメッセージが聴こえてきた。
私の生きて死んでいく意味はこれなのかもしれない、と。
言葉にするのも苦しく難しい経験だったけれど
「言語化」こそが私の使命、私への労いになる確信がある。



『2023の地獄は、一気に豊かさをもって天国へと昇華させて 2024昇竜に乗せて時代を、次元を、エネルギーを上げていく。』


なんて決意表明がすさまじい年の初めだけれど
「あ~辛かった2023だったな~」と笑える2024のわたしを想像しながら
ラフに記録に残してみます。


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