ナメていたら噛みつかれた山﨑貴とゴジラ-1.0
昨日の記事で山﨑貴監督は甘いと書いた。
ゴジラ-1.0はゴジラの怖さとドラマの甘さの両方があるのがいいのだと。
ところが、2回目の鑑賞でその評価はひっくり返った。
僕はクリエイターは基本的にリスペクトするべきだと考えている。
「誰かが貧乏くじ引かなくっちゃならないんだよ!」
予告編にも使われたゴジラ-1.0内の台詞だ。
ゴジラに立ち向かうことも、人気シリーズの続編を作ることも貧乏くじを引くということかもしれない。
どんな映画を作っても、責任のない観客やわかった風な批評家、五月蝿いファンやオタクに好き勝手言われるのだ。
僕は責任ない観客で五月蝿いオタクです。
そんな僕が前回、山﨑貴監督を「甘い」と書いた。
そして「その甘さも山﨑貴の良さだよねー」って受け入れているアピールをした。
自分でも呆れるほどクリエイターを見下した物言いだった。
一度目の鑑賞で「結末が甘い」と断定した。
その理由は「死んでたはずの人が実は生きてた。よかったね」エンドだと感じたからだ。
さらに、なんぼなんでもあの中で生きてるのは無茶やろとのツッコミ感情も湧いた。
しかし、僕はうかつにも見落としていたです。
生きていた人の首筋に蠢く黒いものを。
その黒いものに2度目の鑑賞で気づいた。
甘かったはずの映画の結末がひっくり返った。
単純なよかったねエンドでなくなり、あの中で生きていたことが無茶じゃなくなった。
クリエイターをナメてはいけない。山﨑貴は、怖い。
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