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過去の傷を未来につなげる

昨日Abema TVに生放送で40分ぐらい出た。

僕自身は昔、イラク人質事件という14年ほど前の事件での生き残りだ。そのあと経験したバッシングで僕は4〜5年ほどの対人恐怖症やパニック障害など経験して、なかなか社会にうまく馴染めなかった。でも、今は自分のその苦しんだ経験から似たような過去を持ち、高校中退や不登校の経験を持つ定時制や通信制の子たちの就職までの支援を認定NPO法人D×Pというところで仕事をしている。

過去の炎上とかバッシングで過度なまでに叩かれると落ち込んだり、苦しんだりする人の経験をよく最近見かけるようになった。僕の場合は顔を晒されて人に殴られたり道端で罵倒を浴びる経験を人質事件直後にあり、それが数年ほど続いたため、なかなか立ち上がれず、苦しんだ。このまま生きれないんじゃないのか、と自殺をしようとまで考えたこともあった。


過去の傷は傷跡として残る。


でも、生きれる。新しいことができる、僕はそう思っている。


僕は大阪にきてからよく「人質」っていう言葉で紹介されて、前職の時代によく取引先の人に笑われた。

「人質なんや、いいネタ持っとるやん」

僕は札幌出身で笑われることに対して少し抵抗感があったけど、数ヶ月経つに連れて、よくわからないが、笑えるようになってきた。

「そうなんです、人質だったんですw」

なんだか、そのやりとりをするのが僕はありがたかった。それまで、苦しい言葉でしか語れなかった言葉が明るさに変わったからだった。関西以外の人から聞くと、「なんでそれで笑うんだ」「理解できない」と言われることもあるかもしれない。でも、僕はすごくそれがありがたかった。人質、という言葉を明るさに変えてくれていたからだ。

先月、箕輪編集室の箕輪厚介さんとの対談「箕輪厚介×今井紀明 リアル“死ぬこと以外はかすり傷”対談」も明るく語れたのは、それがあったから、かな。

苦しい過去、苦しかった自分の過去の言葉は何かのきっかけで明るい言葉に変わるんだ、と僕は思った。大阪という街や人に僕はすごくその意味で感謝している。前を向けるようになったから、だよね。


僕は今、落ちこぼれとか、高校中退とか、不登校とか世間的にネガティブな印象をもたれる高校生たちと関わっているけど、彼らはひとりひとり才能がある。その子たちの未来を彼らと作りたい。

その子たちと関われるようになったのは事件後、しんどかったからだ。確かに、苦しかった。だけど、今は未来を語れる。面白いし、僕は今の仕事が好きだから。


これからは未来を語る。とりあえず、そう言ってみる。

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