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日本のエネルギーの選択肢についての個人的所感
震災後8年を経て、日本のエネルギー政策に対し思うことを綴ってみます。
これを書いたのがちょうど1年前。
この後、第5次エネルギー基本計画が出されましたが、なんらかの進展が期待された原発政策については過去を踏襲しただけで、結局何も変わりませんでした。
背後には、原発派と再エネ派の永田町や霞ヶ関の政治的な争いが透けて見えます。表面上は再エネ派の勝利であり、それを喜ばしいとすることもできますが、原発の問題は先送りされただけで、さらに4年後の改定まで持ち越されるのかも知れません。
電源選択の難しさ
これさえあればOKという理想的な発電方法が見つかっていない(恐らく存在しない)ため、どうしても何を優先させ何を諦めるかという選択問題、つまり政治問題となってしまいます。
究極は、再エネ水素、核融合や宇宙太陽光発電、またはメタンハイドレートがあれば大丈夫、などと言う意見もあります。本来なら個別に分析・評価した上で述べるべきですが、誤解を恐れずにいえば、正直、見通せる未来の条件から考えて、私にはおよそ夢のレベルかなと思います。それよりも、来たるべき石油供給の問題にいかに現実的な解を与えるのかという問題の方が、私には重要に思えます。
それぞれの電源の良い面と悪い面
原子力は批判の対象になりやすいですが、他の電源は火力発電の温暖化問題以外に大きな批判になることは少ないと思います。しかし、最適解がないということは、当然ながらそれぞれに良い面と悪い面があることを意味します。
再エネのコストは廃炉費用を超えている
例えば再生可能エネルギーに期待する人は多いですが、現在の日本はたかだか数%の発電のために、これまでに原発廃炉費用を上回る9兆円を超えるお金(賦課金)が一般の電気料金から取られています(これからも毎年2兆円以上、まだ20年続く)。しかし、このコストは一般の電源選択の議論で問題にされることはあまりありません。(政府はこの賦課金を抑制するためにあの手この手をやっているわけですが)
参考
電力中央研究所 研究資料
固定価格買取制度(FIT)による 買取総額・賦課金総額の見通し(2017 年版) 2017年3月
https://criepi.denken.or.jp/jp/serc/source/pdf/Y16507.pdf
再エネはゲタを履いて評価されている
また、再エネは技術の進歩で今や最も安い電源であるという評価があります。通常、再エネの発電コストは発電量(kWh)あたりで比較されていますが、調整力の価値は正しく評価されていません。これまで、電源は調整力がある事が前提だったので、比較の方法すらありません。今の再エネは、いわば、他の電源の調整力にフリーライドする形で、ゲタを履いているわけです。
石炭火力の見えないコスト
火力発電も、石炭火力から出た重金属を含む廃棄物を国内で再利用または処理しきれず、海外(主に韓国)に輸出して押し付けています。
石炭灰の輸出に関する実態と 輸出の円滑化に向けた課題
https://www.env.go.jp/recycle/yugai/conf/conf27-02/H271023_04.pdf
原発のゴミはダメだが、石炭の廃棄物は海外に押し付けてよいというのは理屈に合いませんね。石炭火力に関しては、他にも多くの論点(例えば、石炭生産時の事故や、安定供給上のメリットなど)ありますが、ここでは述べません。
LNGの課題
LNG(液化天然ガス)は比較的問題が少ないように思われますが、石油価格の高騰に合わせてコストが上がっていることと、貯蔵の難しさから備蓄がコスト高になり、エネルギー安全保障上たより過ぎは危険であること、LNGタンクがテロの標的になる脆弱性などの課題もあります。
かといって原発、、、でもない
だからといって原発がよいわけでもなく、廃棄物処分の問題や、廃炉の問題、新規で作るにせよ立地の問題など、現実的な選択肢として、相当厳しいものがあります。
原発に関しては、感情論か現実論かというよりも、元々ある事が前提で今は仕方なく止めているという発想の人と、そもそも何故あるのかという発想の人で、前提となる世界観に大きなギャップがあり、その間をコミュニケーションで埋めるのは難しいなと感じています。
個人的に原発はどうかと言われると、使えるものを止めているのは単純にもったないなという思いはありますが、原発の問題は核物質の取り扱いという高度な外交問題でもあり、技術論・経済論だけで答えが出るものではありません。専門家として逃げるわけではありませんが、やはり究極は政治問題であり、我々国民の政治選択に委ねざるを得ないと思います。
その上で申し上げれば、今日本は原発をマネージできるレベルの国かどうかが問われているのだと考えています。もし、日本人に無理なものなのであれば、原発を手放し、そして手放す事によって失うものも甘んじて享受するしかないのでしょう。その判断は、多くの人の生活が関わる重い判断となるので、私も軽々にすることはできません。
もう一つは、やるなら「ちゃんとやる」という選択肢ですね。
震災後に負ったエネルギー政策上の政治コストはあまりに大きく、複雑過ぎて、正直うけとめるのも嫌になるほどです。そして、つい再エネだ、新しい電力ビジネスだと、キラキラしたものに目が行きがちです。
ベネズエラで停電が続き多くの方が亡くなっていますが、ある記事によると原因は陰謀でもなんでもなく、電線の下の草むしりを怠ったのが原因(山火事が電線に延焼)なのだそうです。
Nationwide Blackout in Venezuela: FAQ https://www.caracaschronicles.com/2019/03/10/nationwide-blackout-in-venezuela-faq/
電線などのインフラ設備は、それ自体で大きな利益を生むわけではないので、使える間は皆できるだけタダ乗りしようという力が働き、誰かがちゃんと責任をもってメンテナンスしないとこういう事になります。
今の日本の電力も似たようなところがあり、目先の真新しいビジネスに関心が集中し(それこそフリーライドするのが一番儲かる)、地味なインフラ整備の重要性が語られることはさほど多くありません。
さらに、大抵の場合「エネルギー」と銘打っていても、結局は電気だったりして、電気以外のエネルギーの問題は殆どの人は関心の外にあるように思われます。そこが現在の日本のエネルギー問題の闇だろうと思います。
これからもエネルギーアナリストとしての戦いは続きます。
エネルギーアナリスト 大場紀章
ここからは有料ですが、個人的な日記のエリアになります。今回は8年前のあの日の振り返りです。支援用のお得な有料マガジンのご購読(雑記と専門レポートの二つ)もよろしくお願いします。
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