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小坊主よ、お前もか。

2020年夏休み明けに倒れた息子氏①....のストーリーはこちらから。

今日はそんな坊主を横目に過ごしていた、学校大好き愛嬌たっぷり次男坊のお話。...登場人物を整理するために息子①は坊主、息子②を小坊主と表記しようと思う。そして......察しの良い方はすでに何事かお気づきだろうけど、残念ながら次男も発病が確定した。そして彼のおかげで我が家は大きなパラダイムシフトを迎えることになった。

坊主は発病した頃、本人はあたかもメンタルがやられたかのような口ぶりで、いわゆる「不登校」にしか見えなかった。なのに、いかに不登校支援の教科書的にメンタルを支援しても、なんとか動き始めるのにすぐ動けなくなる。その頃、彼の足は、しばらく立っていると真っ黒に鬱血(※)するようにすらなっていた。これこそ起立性調節障害の典型的な症状だったのだが、そんな事はつゆ知らない素人目からしても、明らかに何かがおかしいと分かるほどどす黒い。そこまで病状が進行してようやく、起立性調節障害を診断されるに至った。7軒目の受診の時だった。思い返せば遡る事約2年、「頭が痛い」「お腹がいたい」おかしなサインは点滅信号のようについていたのに、病院や診療所では「お腹の風邪でしょう」「偏頭痛でしょう」。病名ばかりが増えるに至り、てっきり不定愁訴と判断していた。本人のやる気の問題と叱咤激励し、ただ頑張る道しか導けなかった。その間にも、病状は静かに進み、いつしか心ではカバーし切れないほどになっていった。今思えば可哀想な事をしたと心底思う。

そうはいえ、本当は学校に行きたくないんじゃないか、本当は嫌だから、面倒くさいから、しんどいしんどいと言い続け避けているだけなのではないか、そんな疑念は申し訳ないけど母の頭の隅に常に残っていた。ファーストインプレッションとはよく言ったものだ。行きたくない、行く気にならない、なんで行かなきゃ行けないかわかんない、.....そんな始まり方は、親の心に強烈に残る。それは、心でカバーし切れない体の不調がそう言わせたのだと今は分かるけど、それでもこの病気、当事者さん達には悪いけど、傍目からはほんっとうにだらしなくサボっているようにしか見えない。

世の中のTwitterを少し探せば、子どもがだらしなくて腹が立つ、なんでこんな育て方をしてしまったのだろうと我が身を責め、子どもを責め、自暴自棄になっている親の姿、一方で、本当に学校が好きなのに行けなくて辛かったとか、本当にしんどい事を分かってもらえなくて辛かったと言うサバイバーのお子さん方もたくさん。

ネットを歩けば、色んな経験談、昔の知見、今の知見....色んな矛盾する情報が散乱しすぎて、子どもの事を思えば思うほど、何を拾えば良いかわからなくなる。まさに親も子も混乱の最中に文字通り放り出されるのに、『どうすれば良いか、誰も教えてくれない』ある日突然未開の地の開拓者となる事を余儀なくされる。

........残念ながら、医学の世界にはそんな事がまだゴロゴロ転がってるのだけど。

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小坊主の話に戻る。小坊主は坊主が折れた直後「甘えだ!」と断罪してみたり、自分も体調が悪くなった日には「何で俺だけこんな頑張らないとあかんのや❗️」母にブチ切れて見たり。

それでも仲良しのお友達と遊ぶのが楽しくて楽しくて学校に行っていた。

坊主に診断がついた頃には、なぜ自分だけ頑張っているんだろうと言う心のモヤモヤも晴れて、「俺は俺」朝は7時前には意気揚々と起き出し、朝シャンして朝食摂って「あー早起きって幸せ❗️」ルンルンで登校。坊主と小坊主、まるで太陽の子と闇の子に引き裂かれたかしらと、ギリシャ神話に思いを馳せたくなるほどの落差だった。

 そして迎えた小学校最終学年、担任は学年で飛びきり人気のお茶目な先生。学校に対する拒否感など微塵もない彼が、GW明け、朝どうしても起き上がれなくなった。

診断: 起立性調節障害

サブタイプ....体位性頻脈症候群

坊主と全く同じ病態だ。それも起立試験中に、立っていられなくなり倒れてしまったとのこと。

なんとなく、こうなるだろうと薄々思ってはいたけど、やっぱりショックだ。

あんなに早起き大好きだったのにね。

学校で、体育で機敏に動いて時々エースだった彼の姿は今微塵もない。ふらつきとめまいと戦いながら、登校する日々。

本人が一番ショックだと思う。

しかも本人は、「傍目から見ればサボっているとしか見えない」事を、良くも悪くもよーーーーく知っている。診断の数日後、まともに立ち続けるのも難しい身体で激しく動いたら倒れてしまって、そんな身体を受け入れられずに咽び泣きながらフラフラで登校し、無理をすれば更に辛くなる身体を実感したその日の夜、「友達にサボっていると思われたくない」そう言って号泣した。

私も正直、まだ気持ちを整理し切れずにいる。

治療法もろくに確立されていない病気に、2人して診断された事。坊主は3年前から最先端では、遺伝性疾患の説も浮上している事、思い返せば私を含め親族の中にもちらほらと同様の状態を経験している事、1人はやはり長年の不登校すら経験し、今やサバイバーとして不登校トピックを発信する場にいる事。

ただ、彼の発病のおかげで、

「これは身体の病気で、メンタルの状態とは全く独立して起こるものだ」と言う事が、リアルに証明されたのだった。

メンタルのせいとか、やる気がどうのこうのと言う事自体がナンセンスなのだ。だって身体の病気なのだから。

我らも身体の病気が起きたら寝込むだろう。

今でこそ、壮年期でそれなりに仕事して、社会に居場所もあって。

でも彼らはまだ自分の社会の居場所を作っていかなくてはならない、身体もどんどん変わる、そんな不安定な時期。

我らが年老いて、ちょっと体がしんどいなと思って休みがちになった時、「やる気の問題だ」と断罪されたらどう感じるのだろう?

そう考えれば、何を成すべきかは、シンプルだ。

彼らの身体に起きている事を受け入れ、できる範囲のことを共に探し、どうしても身体が辛い部分は調整を試みる。外せるものと外せないもの、イベントを整理し、大事なもののみ参加していけるように関わる。何より治療とリハビリを優先する。「最初のステップは、本人の気持ちの向くものから、順番に」

奇しくもこれは、古くから辿られている不登校支援に近いものがある。治療法のわからない病気は、古の知恵に倣うのが良い。今はエビデンスがなくても、「おばあちゃんの知恵」には大抵後からエビデンスがついてくる事が多い。

当面、その方向で彼らを支援して行くと決めた。

こんな事例があるのだと、世の中の「朝起きれない」不登校に苦しむお子さん、お母さんにはこんな場合があるのだとぜひ知っていただけたらと思う。

そもそも診断にたどり着くだけでも時々とても難しい病気だから。

※夏、お子さんが立っている時に、半ズボンやスカートから覗く足の下の方がうっ血して色が変わっていた場合、お子さんはいつ折れてもおかしくない状態です。「新起立試験」をしてくれる小児科を絶対に探して連れて行きましょう。※

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