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根深き「いい子ちゃん」

今年の春頃に「どうやら”らしさの期待”だけで生きてきたようだ」と気づいてから、それを取っ払いたいと試行錯誤をしているのですが、やってみて初めてわかるってのは本当で、いやはやびっくりするほど難しいです。

というわけで、なぜ私が「らしさの期待」を払拭するのにこれほど難儀しているのかをまとめてみました。(n=私)


「自分の本音で行動した」記憶がない

「らしさの期待」を払拭するためには、「らしさの期待」など気にせずに生きていた頃に感覚を戻してみるのが一番早いと思いました。先のnoteでは「物心ついた時から誰かの期待に応える選択をしてきた」と書きましたが、あれを書いた時には「とはいえ、そればかりではないだろう」と思っていたので、微かな記憶を辿れば「らしさの期待を気にしない」感覚がどこかにあると踏んでいたのです。

だが、しかし。

自分の過去を振り返れば振り返るほど、いかに私が「らしさの期待」に頼って生きてきたかを思い知ることになりました。

「結果として、周りの誰かの期待に応える選択をしてきた」というより、私の人生ではそれが最優先だったんです。「誰かの期待に応える」ことこそが正義。そして、正解。なので、そもそも自分の記憶に「自分の本音で行動したこと」がほとんどありませんでした。


その代わり、我慢をした記憶がたくさんあります。
諦めた記憶もたくさんあります。

今までの人生、自分の意思で選んだつもりの選択肢が、いろいろ諦めた上での最適解だったり、我慢が前提の折衷案だったりすることが、やっとわかってきました。その「諦め」や「我慢」を紐解くと、見えてくるのは他人からの期待。


私の選択には、いつも私以外の誰かがいたんです。
いくら振り返っても、そう思います。

人の記憶は曖昧ですし、しかも都合の良いように変わりますから、この「記憶にない」状態は私の思い込みかもしれません。だとしても、今の時点では「自分の心に従った選択をした記憶がない」です。

これはこれで、いったん受け取っておきます。


「いい子ちゃん」の心地よさ

私は、自他共に認める「いい子ちゃん」です。

今でも上司に「いい子ちゃんになってるぞ」と指摘されるくらいなので、それはもう生粋の「いい子ちゃん」なんだと思います。

30歳を超えて、「いい子ちゃん」でいることの弊害が体感としてわかるようになってきましたが、それまでは特に困ったこともありませんでしたし、「いい子ちゃんを辞めたい」と考えたこともありませんでした。

何か都合の悪いことが起こっても、むしろ「これが私だしなぁ…」という感覚で、少し大袈裟ですが「いい子ちゃんでいることが私の価値」くらいに思っていたのも否定できません。(だから万年器用貧乏だったのだと、今では思いますが。)

ではなぜ、私がこれほどナチュラルに「いい子ちゃん」になっていったのか。過去をいろいろ思い返して、ここが気になるところでした。

まず、生育環境
私は歳の近い3姉妹の長女として生まれ、4歳の時にはすでに妹が2人いました。父親が激務(しかも転勤あり)だったため、母親は完全なるワンオペ。「母に迷惑をかけてはいけない」と常々考えていたことは、今でも覚えています。ただ、自分のやりたいこともちゃんとさせてもらっていたし、「お姉ちゃんなんだから」と我慢を強いられたり嗜められたりした記憶はほとんどなく、自分が心地よく楽しく過ごすために、率先していい子ちゃんを発揮していたような気がします。

そして、空気が読めてしまう性格
その場にいる人たちが何を期待しているのか、目の前にいるこの人はどういう結果を望んでいるのか。幸か不幸か、それを察知することが得意でした。推薦で委員長的な役割を担うことも多かったですが、学校の先生的には都合の良い子どもだったんだろうなーと思います。おかげさまで対外的な評価は良く(やると決まったら全部ど真面目にやるのも性格)、そのおかげで信頼を得てきたこともたくさんあります。自分にとっても「いい子ちゃん」のメリットは大きかったんですよね。

あとは、思春期の対人関係トラブル
今となっては真相は闇の中ですが、身に覚えのないことで急に仲間外れにされて、約2年間、心ない言葉をかけられ続けたことがあります。人生で初めて「人は信用できない」と感じたのがこの時で、「自分の本心は軽々しく話すものではない」と学んだのも、この時です。もともとの「いい子ちゃん」は相手を喜ばせたい気持ちで形成されていましたが、この頃から「傷つかないために、いい子ちゃんでいよう」と思うことが増えた気がします。

「生育環境」「もともとの性格」「多感な時期の対人関係トラブル」という3つが、三つ編みのようにしっくりと連なり続けて、私は「いい子ちゃん」から抜けられなくなったのだと思います。


「いい子ちゃん」と主体性

私が「いい子ちゃん」でいることに困らなかった要因のひとつとして、「主体的であろうとしてきた」ことが挙げられると思っています。

言われるがままに他人の期待に応えていたら、もっと早くに苦しくなっただろうし、「これではいけない」と軌道修正を始めたと思いますが、私は「いい子ちゃんでありながら、主体的である」ことによって、バランスを取っていました。バランスが取れてしまった、と言った方がいいかもしれません。

実は、「主体性でいる」ということ自体、きっかけは他人(おそらく親)からの期待だった気もするのですが、「自分の頭で考えて、自分で決めた」という自覚を持つことで、私は格段に生きやすくなりました。

高校進学で人間関係を一度リセットできたことで、主体性を持つことに罪悪感を持たなくなったような気がします。

私はナチュラルに「いい子ちゃん」でしたが、両親はそんな私の性格を考慮してか、進路や就職にはひとつも口を出しませんでした。結婚すら「あなたの決めた人なら大丈夫だと信じてるから」と、相手と一度しか会ったことのない状態で即OKでした。(結婚はのちに失敗談になるのですが…これはまた改めて書きます。)

「いい子ちゃん」と聞くと、「自分の意見を言えずに他人に言われた通りに生きる」という受動的なイメージを抱く人が多いと思いますが、私の経験から言うと「いい子ちゃん」と「主体性」は共存できてしまいます。

そして、「いい子ちゃん」と「主体性」が共存すると、本人は自分の意思で生きている感覚になるので、とても厄介です。

私が「らしさの期待」を払拭するのに難儀している原因のひとつとして、この「いい子ちゃんと主体性の融合」があるような気がしています。


主体性を再定義する

おそらくですが、私が「主体性」と思ってきたものは、本当の意味で主体的ではありません。「自分以外の誰かの正解に自ら進んでいく様」と言った方が良いでしょうか。このあたりは、まだうまく言語化できません。

自分が大切にしていることを表に出すのは怖い。自分の思う通りに生きると自分が傷つくかもしれない。誰かの正解に乗っかっていれば苦しくない。そして、そんな自分を正当化したい。

私が主体的でいたいと思ったのは、自分の思う通りに生きたかったからではなく、自分の不安や恐れを見栄えよく隠したかったからではないかと思います。

私が生きてきた人生は、確かに私のものです。私の経験は唯一無二の私だけのものだし、私の選択も私だけのものだし、それはそれで誇るべき素敵なものだとも思っています。

ただ、今のままでは、自分の思う通りには生きられない。

誰かの正解だけを頼って生きてきた私には、「自分の思う」ことが何なのかが、35歳の今になってもわからないのです。

そこにしっかりと向き合って、「らしさの期待」を取り払うことができたとき、私は本当の意味で主体的に人生を歩めるようになるのだと思います。


自分の中に答えはあるはず

筋金入りの「いい子ちゃん」で生きてきた私にとって、「らしさの期待」を取り払うことは、今までの自分を否定するような気分になる苦しいチャレンジだとわかりました。

自分を否定することにはならないんですけどね。感情というのは厄介なものです。

今までも「いい子ちゃん」を脱しようと、何度も試みてきました。その度に身軽になってきたのも本当です。

最初は「べき思考」からの脱却、次は「都合の良い人」からの脱却でした。

そして今度こそ、三度目の正直として「らしさの期待」からの脱却を目指します。

答えは自分の中にしかないし、逆に言えば自分の中に必ず答えがあるはず。

そう信じて、もう少しもがいてみようと思います。

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