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贅沢は「素」敵だ。

【戦争中に流行ったスローガン】
第二次大戦・日本では太平洋戦争のさなか、日本では軍費に多くのお金を必要としたため、一般庶民の生活は様々なところで制限され、そのお金は政府が強制的に召し上げた。特に、高価な金品を買うとか、高価な食事をする、などの「贅沢」は、政府が「贅沢は敵だ」というスローガンを掲げて、制限した。逆に言えば、そんな時期でも贅沢をする人が結構いたのだ、ということでもあるのだろう、とは思う。しかし、このスローガンの掲げられたポスターに密かに「敵だ」のところに「素」を挿入した落書きをする人間がいた。これが当時、おもしろおかしく庶民の間でジョークとして流行った。このジョークの追加の落書きの意味は「軍部とか政府とか、自分たちだけ良い思いをしやがって」というような意味ももちろん込められていたのだろうと想像する。私は戦後に生まれたので、このことをリアルに知っているわけではないが、既に亡き両親からの話などで、このことを聞いた。

【「コスパ」「タイパ」の時代】
現代の20歳代、30歳代の人たちの間では「コスパ」「タイパ」という単語をよく使う。会社のダラダラした飲み会での情報交換などはリアルに職場でやったほうがコスパいいんじゃないですかね?飲み代もかからないし、面倒な上司に気を使わないで済むしね、などという感じだ。要するに「投資」に対する「リターン」の大きさで物事を実行するかどうかを判断する、という「合理的思考」であれば、そうなる、ということだ。これは世代に限らず多くの人が納得せざるを得ない。「タイパ」は、なにかに費やす時間に比べて、それで得られるものがいかに大きくなるか、とうことを中心に考える、ということだから、これもまた、納得できる話なんだな。経営者から見れば、人件費という「労働時間に対するお金を払う」ことと、それによって得られるお金の天秤の話なので、要するに「経営的思考」ということにもなるだろう。経営的思考を持つと、当然経営がわかるはずだ、と、若い人でも経営層に引っ張られて、給与を高くすることにもつながるかも知れない。そういう計算もないとは言えないだろう。

【来週あなたが死ぬとしたら?】
こういった「お金を中心にした価値観」が見落としているのは「人生は理不尽に突然終わることがある」という「不確定要素」に対する備えだ。人間は永遠に生きるが如く考え「コスパ」「タイパ」の思考はそれをベースにしている。突然終わる人生というのは「計算外」「例外」として考える、という暗黙の了解がある。しかし、人間である以上それが明日にしろ、数十年後にしろ「死ぬとき」は当たり前に訪れる。つまり「コスパ」「タイパ」を考えていると、その結果を得るまでもなく、人生が終る、ということは考えていない。「死」は「例外」として考えることになる。しかし、来週あなたは死ぬかもしれない。それが人間の「生」というものだ。

【AIが全て「やる」世界】
であれば、人間の生が永遠のものである、という前提を強引に作り出せばいいじゃないか、という「無理」を考えるのが、人間の浅はかなところだ。古来から、強大な権力を持った権力者は「不老不死」を望んだのは、そのためだ。今は人間がだめなんだからAIにすればいい。社会もAIで作れば良い。生産設備の投資も労働者を雇うのも人間がするんじゃなくてAIがする。生産設備や生産のための人員も人間が持たなくていい。そうすれば相続税も払わなくていい。え?

【投資とリターンにはタイムラグがある】
投資とリターンの間には時間差がある。この時間差を極限まで小さくすることによって人間が生きている間の投資の不確実性を減らし、生きている間を永遠の時間のように思うことができる。それを考えたのが現代の投資だ。欧米での投資は、3か月を1タームとして行われるのはそのためで「長期の投資」は敬遠されるのはそういうことだ。そうすれば人間の死というものは「できるだけ例外」にできる。

【「昭和」という「贅沢」】
日本には戦争後の高度経済成長期という時期があった。この時期は、世界的な戦後復興で、多くの品物が世界で必要になり、人口も増えた。そのため、日本は「世界の工場」と言われる状態になり、仕事は余り人がどんどん必要になり、賃金も上がった。結果として、今に比べれば贅沢な暮らしをしていた人は多い。なによりも、今日お金がなくても、明日は大きなお金が入ってくる。今年はだめでも来年はもっと良くなる、ということを日本人全員が信じていて、揺るぎなかった。「希望」が溢れていたのだ。富める人も貧しい人も同じように「大きな希望」を抱いて生きていた。要するに「贅沢が素敵」を素直に言えた時代だった。

【得たお金は死ぬまでに使うものさ】
「コスパ」「タイパ」を言う若者もいずれ老人になり「死ぬ」。死後にお金を残せば、それが多ければ多いほど、税金などに持っていかれるし、後続の子孫たちはお金の取り合いで貴重な人生の時間を使うことになる。結果として不幸になることだってあるだろう。現代の功成り名を遂げた有名な経営者が「子孫には資産を残さない」「子供は会社で雇わない」という人もけっこういるのはそのためだ。昔から「子孫に美田を残さず」ともいう。

【「コスパ」「タイパ」はほどほどに】
結局、豊かな人生を送るには「コスパ」「タイパ」はほどほどに、ってことだな。お金を使う時はしっかり使って楽しみ、良い経験をするのが一番だな、と、この歳になって思う。そして人生を「投資」と考えていると必ず「死」がその投資の企みを台無しにしていくものなんだな。

【スティーブ・ジョブスの死に際の言葉】
世界では知らない者のない、あのAppleを大きくした世界的な有名人、スティーブ・ジョブズは苦労の末になんとかAppleを世界一と言える企業にまでした。彼は60歳になる前にガンでこの世を去ったが、彼はその最後の病床で「事業はほどほどにして、もっと家族と一緒の時間を多く持ちたかった」と語って亡くなった。彼はおそらく「コスパ」「タイパ」では最高の人生を送ったはずだ。しかし、人生は有限なのだ、と死ぬ前にわかったのだ。

「コスパ」「タイパ」はほどほどに。


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