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自分語り風の自己紹介です。アメリカ永住のいきさつなど

 はじめまして。先週初めて投稿しましたが、改めて自己紹介をさせて頂きます。まずは、アメリカに永住することになったいきさつからお話しします。

 アメリカ在住30年で現在ジョージア州アトランタの郊外に住んでいます。
アメリカに永住したのは、成り行きというか偶然のめぐりあわせで、今振り返ってみても、不思議な気がします。

 勤めていた航空会社を3年で辞めて、しばらく本屋でアルバイトをしていた25歳の時です。

 ヨガ教室で知り合ったおじさんのが、ハワイのカウアイ島でカイロプラクターをしている息子さん夫婦(奥さんはデンマーク人)が、住み込みでベビーシッター兼家事手伝い(Nanny)を探しているので、来てくれないかということでした。

 ちょうどイギリスに短期語学留学する予定だった私は、働きながら英語が学べるのならと急きょ行き先をハワイに変えたのです。

  日本では短大の英文科で、ある程度英語は勉強していましたが、いざアメリカに行ってみるとちんぷんかんぷん。ちょうどそのころ天安門事件やソビエト崩壊、ベルリンの壁崩壊と重要なニュースがCNNで流れていたのですが、流れてくる英語が早すぎて、詳しいことはわかりませんでした。

 それでも当時のカウアイ島はとてものどかで、灰色の空の大阪(子どものころは、しょっちゅう光化学スモッグ注意報が出るほど空気は汚れていました。)から来た私には本当に楽園でした。

 そこで、TOFELを受けて一旦日本に帰って学生ビザに切り替えました。

 その後カウアイ島でニューヨーク生まれの亡夫に出会い、しばらくお付き合いしたものの、異国での外国人との結婚には踏み切れず、一旦日本に帰ってアメリカウエスト航空で機内通訳のような職につきました。

 そこで週に一度程度、名古屋ーホノルル間の便に乗務することになり、ホノルルに移った亡夫と再会。

 けれども、就航したのはあいにく第一次湾岸戦争が始まった最悪のタイミングで、ジャンボ機にお客が数人というありさまで、案の定、一年後には会社更生法申請で、日本ベースの社員は職を失いました。

 これは今だから言えることですが、暇を持て余した乗務員はファーストクラスに集まって映画を見たり、ウォークマンで音楽聞きながらステッパーのような器具で運動をしたり、日本の航空会社に勤めていた私には信じられない自由奔放ぶりでしたね。

長くなってきたので、続きは後日にします。
ここまで読んで下さってありがとうございます!





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