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「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない」ー「欲望の翼」より

先週辺りから、トニー・レオン出演映画≒ウォン・カーウァイ監督作品を観ている。「花様年華("In the mood for love")」を筆頭に、「ブエノスアイレス(”Happy Together”)」「恋する惑星("Chungking Express")」辺りが観たかったのに、AmazonのPrime Videoでは

"This video is currently unavailable to watch in your location"
(今現在、あなたがお住まいの地域では視聴できません)

と言われ意気消沈…


がしかし!
諦めきれずにごそごとしてみるとなんと!
「欲望の翼(”Days Of Being Wild”)」はヒット!
有難や~その感想を綴る。ネタバレありまくり。



考察はこちらのブログが非常に詳しく、正直リンクだけはって終わらせたろかとも思った苦笑
別に私は評論家ではないので、観た映画の個人的な記録ということでご容赦願いたい。


実はこの映画、日本では1992年に劇場公開されてから2005年以降上映権が消失。製作30周年記念ということで2018年にデジタルリマスター版が劇場公開され、少なくとも2020年まで続くロングランとなったとのこと。
それに合わせたこちらの記事もとっても素敵で、読後また観た。





豪華すぎる出演者

当時もそして今も、香港映画界最強キャストが終結している。今や50代60代、大ベテランの皆々さまですがまだ20代…ひたすらに若い。


レスリー・チャン

共演者であるアンディ・ラウやトニー・レオンは、彼らの「男性性」を感じて「かっこええわぁ(はぁと)」となるところレスリー・チャンはそうならない。嘆息しながら、「美しい…」となる。
特にこの主人公ヨディ、定職に就かず養母からの仕送りで生活、チャラいナンパ野郎のくせに実母を知らずどこか空虚でナイーブ。成熟した大人の男ではなく、少年ぽさが抜け切れないからか。

…ここで、健康社会学者・河合薫さんが日経BPで執筆されているコラム「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」の、とある記事を思い出した。元記事は、ベーシックインカムに関する内容なんだが。

「働く」という行為には、「潜在的影響(latest consequences)」と呼ばれる、経済的利点以外のものが存在する。潜在的影響は、自律性、能力発揮の機会、自由裁量、他人との接触、他人を敬う気持ち、身体及び精神的活動、1日の時間配分、生活の安定などで、この潜在的影響こそが心を元気にし、人に生きる力を与えるリソースである。

何故引用したかというと、レスリー・チャンが働いていないことに気づいたから。仕事してないからこそ、潜在的影響を得ることもできず、どこか退廃的な雰囲気を纏っているのだろう。


マギー・チャン

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「花様年華("In the mood for love")」のフルメイクにチャイナドレス姿も美しいが、ナチュラルメイクの素朴な娘さん役も十分美しい。
サッカー場で売り子をしている彼女は、突然現れたレスリー・チャンに何度か会ううち、タイトルにも掲げた
「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない」
と囁かれ恋に落ち、彼に身を任せる。


カリーナ・ラウ

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レスリー・チャンの養母が経営するナイトクラブの踊り子で、成り行きで彼にお持ち帰られ、虜になってゆく。
我が強く表情も豊か、前カノであるマギー・チャンとキャラ的に真反対。この人は、上の素の表情も怖いくらい綺麗なんだが、下の踊り子のばっちりフルメイクも似合うし(美空ひばりっぽい笑)、しかも化粧に負けてない。美女の証。
ちなみにトニー・レオンの奥様です。


アンディ・ラウ

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なんでまたこの人は、警官とか軍人とかの役がこんなに似合うんだろう。
結局レスリー・チャンと一緒にいられなくなったマギー・チャン。彼のことが忘れられず、夜毎彼の部屋を訪れる。夜間巡回中だった警官のアンディ・ラウがそんな傷心の彼女と出会い、想いを寄せてゆく。


ジャッキー・チュン

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ジャッキー・チェンなんて出てこなかったよな?と思ってたら「歌神」ジャッキー・チュンの空目という。
レスリー・チャン、アンディ・ラウ、トニー・レオンに比べると、失礼ながら男前度は落ちるけど、そこがピッタリ役にハマってた。レスリー・チャンの親友でありながらカリーナ・ラウに片思い。


トニー・レオン

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映画の最後、唐突に登場。前の5人の物語とは1ミリも関係ない。台詞はひとっこともないが、仕草がめちゃくちゃにかっこいい。”出勤”前のギャンブラーって設定みたい。
とは言え、ここに至るまでに実は、「食べた梨を窓から捨てる」シーンがあったが30回近くボツに。それでもウォン・カーウァイからOKもらえず夜帰宅して泣いたという逸話が、かの監督のインタビューに登場する。

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ラストでトニー・レオンが身支度を整える狭い部屋に、何故かマギー・チャンがいる、こんなショットも。
もともと「欲望の翼」は二部作の構想で、トニー・レオンはその二作目で主役のひとりだったそうだが、直接的な第二部は制作されず仕舞い。そこで使われる予定だったのだろうか。
ウォン・カーウァイはこんな感じで、本編では全く登場しない謎カット写真がザクザク出て来るので、胸をかきむしられる。うおーそっちのバージョン、もしくは続きを観てみたかったよー!泣、と。



呼応する台詞

前述のブログによる考察に触発され、見直して気づいた。


「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない」
これは3度目かに会ったとき、レスリー・チャンがマギー・チャンに言って、彼女を陥落させた台詞。

「彼を忘れるにはあの最初の1分から全部忘れないと」
これは別れたけど吹っ切れないマギー・チャンが、ひょんなことから出会ったアンディ・ラウに「話を聞いてほしい」と、レスリー・チャンとのことを語るあいだで漏らす台詞。
ひきずってるねー笑

「あの晩だけの友達だったのか」
これは夜の街を歩きながら長いこと、マギー・チャンとアンディ・ラウがお互いの身の上なんかを話したけれど、最後まで、レスリー・チャンとの1分を越えられなかったのか、とアンディ・ラウが独白する台詞。


これらの、時間に関する印象的な台詞たちが吐き出されるのはどちらかと言えばマギー・チャンの方で、カリーナ・ラウの方はほぼ印象に残らなかった。こういうところも、彼女らが正反対であることを示しているようにもみえる。


話は少し変わるけれど「欲望の翼(”Days Of Being Wild”)」から20数年後に撮られた「グランドマスター("The Grandmaster")」は、カンフーによる流れるような美しい戦闘シーンがメインに据えられ、ストーリーや台詞は必要最小限に抑えられているように思えた。同じ監督なのに、全く異なる趣きで興味深い。



この映画独特の世界観を支えるクリストファー・ドイルのカメラワークと、ウィリアム・チャンの美術も素晴らしく引き込まれるが、今ふと思い出したのが

雨のシーンが多かったな

ということ。


カリーナ・ラウが、レスリー・チャンにお持ち帰りされるシーン。
彼が運転する車で家の前まで来るものの、外は土砂降り。


マギー・チャンが、初めてアンディ・ラウと出会うシーン。
レスリー・チャンの家の前で静かに待つ彼女に、「何してるんだ」と尋ねる彼。雨の中の巡回中。


実母がフィリピンにいると知り旅立つレスリー・チャン、
何も知らされなかったため取り乱すカリーナ・ラウ、
心配で仕方ないジャッキー・チュンは、彼女の後を追った挙句殴る。
「正気を取り戻せ」とばかりに。大雨の中。


どの登場人物も、なにか満たされないものを抱えていて、本当に想いを遂げたいひとと一緒にいることは叶わない。
それを象徴するのが

なのかなぁ。




既にレスリー・チャンが、この世のどこにも存在しない世界である今観ると、やっぱり切ないし、その一瞬の煌めき、生きた証がフィルムに焼き付いていて心に刺さる。もう神様ったら、我儘過ぎだぜ。そんな早く彼を手許に呼び寄せることもなかったろうに。

「2021年12月11日、君は僕といた。この1時間37分を忘れない」




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