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土のある場所で

土のある場所で子どもを育てたいと思っていました。
自分の幼い頃の経験からです。
小学校の6年生頃まで、よく引越しをしました。
住んでいたところはどこでも思い出すことができますが、私がいる場所はいつも家の中ではなく、家の周りでした。
庭があればそこで土をこね、なければお勝手そばの地べたに座りこんで土をほじくり返したものでした。一軒家でないときは、集合住宅の前の、まだ舗装のされていない道にしゃがみ込んで土をいじりました。
そういう人は多いと思いますが、私もまた、土を触ることで、すべてを忘れることができる子どもでした。いやなことも、つらいことも、悲しみも。

土は情操を育んでくれるー大人になった頃には、そう確信していました。

けれど、土のある場所で子どもを育てたいと思ったのは情操教育を狙ってではありません。
日がな一日地面に向かって土に触れながら、自由きままにいろいろなことを考えたり、何ひとつ思い煩うことなくぼーっとしたり。そしていきなりとびだす変わった生き物に息をのんだり。
そんな静かな楽しみを子どもと分かち合いたかったのです。

でも引越して、何より私自身が無心になりたかったのだと思い知りました。

土のある場所で水をかけあったり、泥団子を作ったり、果樹から鳥さながらに実を食んでいた3人(正確に言うと、その家で生まれた末っ子は上2人ほど泥だらけになるのは好きではありませんでしたが)の子どもは月日を経て成長し、みな自然の摂理を求める仕事を志すようになりました。
やはり子どもにとっても、しあわせな時間だったのでしょうか。
私が抱いていたような静かな楽しみではないかもしれませんが。

私はまた引越して、今いる場所には自分の時間を過ごせるような土のある場所はありません。せめて、ベランダに出て、小さな花を植えるのみです。
けれど私が今また母となって、もう一度子育てをするとしたら、やはり土のある場所で子どもを育てようとするでしょう。
身近に土がなかったとしても工夫を凝らしながら。


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