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10年前の私に出合う

アルバムの中に10年前の古い写真を探して「あの頃のこと」を思い出そうとするのはよくあることだ。
そうでなくとも、10年前の日記や手帳などを見返せば「あの頃」に思いを馳せることは容易だ。

今日の私は、けれど、不用意に10年前の自分を開いてしまった。

読書ノートだ。
と言って、もともと私が探していたのは読んだ日と本のタイトルを書きつけただけのプアなもの。
…だったはずだった。
ところが引き出しの奥から無造作にそれを引っ張り出すと、バサッと落ちたものがある。
別の手帳から切り取った数ページを挟み込んでいたのだ。
文字がびっしりと書き込まれている。
そう言えば、以前はスケジュール帳の後ろの方の自由欄に読んだ本の感想(場合によっては感想の体もなさないメモ)を書きなぐっていたっけ。

なにをこんなにいっぱい書いているんだろう。
なになに、と何気なく最初の日付を見る。
2014年10月24日-11月11日。
ひえぇ、もう10年前だ。

というわけで、思いがけず10年前の私に出合ってしまったのである。
本のタイトルは『ぶっぽうそうの夜・完全版』(丸山健二/河出書房新社)。
今でも覚えている。
とにかく分厚い本だった。
私の殴り書きは――

”3行詩のように書かれる筆者特有の文体。
主語は主人公の一人称で、すべての事象が主人公の目を通して見えたかたち。
だから、事実とも事実でない(妄想とか)とも判断させないまま、ストーリーが流れてゆく。
新鮮、書く勇気を与えてくれた”<原文ママ>
殴り書きなので表現テキトー

そうだ。
ちょうど10年前の4月、私はとある公立図書館の仕事に就いた。
図書館で選書した資料を受け入れる仕事。
その中で見つけたのがこの本だった。
読んだのは半年ほど経ってのことか。
半年ほど経ってようやく、私は昼休みの過ごし方を見つけることができていたのだ。
昼休みにその図書館の開架に出て、閲覧室で気になる本を読みつなぐという毎日。
5年間で、いったい何冊読んだことか。
利用者として閲覧室にいたとき、いきなりほかの利用者から「嘘つき」と声をかけられ罵声を浴びせられるというこわいこともあった。

今の職場に移ってもう6年目。
前の職場では毎日特定の一人から理不尽に叱責されたということしか印象に残っていない。
だが、すっかり忘れてしまっていたが、確かにそんな昼休みの楽しみ(こわい思いもしたが)もあったのだ。
それに仕事とは別のところで(つまりプライベートで)無力感の勝る今に比べると、もう少しものは考えていたのかもしれない。
あの時にもらったはずの「書く勇気」はいまだ発揮できていないし。
(まったく私ってやつは)
それでも今のほうがはるかに(比べものにならないほど)幸せという滑稽さよ。

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