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悔いなき別れ

母が逝った。
10日前のことだ。
最後まで「自然に生きたい」と口にしていた。
訪問診療の医師や看護師、介護士の方々に恵まれ、自分の意思を尊重してもらい、ぎりぎりまで自宅で過ごし、自分の足で買い物にも行っていた。
朝にはその日やるべき仕事を書きだし、夜には家計簿と日記をつけていた。
骨折もぼけることもなく、娘の私もありがたかった。
けれど、亡くなる10日前に母の自宅に寄ったときはもうほとんど起きられなくなっていた。
その2日後、細菌に感染して弱っていたこともあり、入院。
一度は持ち直したものの、入院後一週間余りでの死だった。
病院のかたがたは大変良くしてくださった。
コロナ禍で面会に制限がかかる中、「先生のお話を伺う」という機会にことよせておしかけた私たちに、感染対策を十分講じたうえで、会わせてくれた。
おかげで、ダメ元で付いてきた私の次男も、母と話す十分な時間がとれた。
亡くなった日の朝は、病院から7時過ぎに電話がかかってきて、血圧がかなり低くなっていることを話し、すぐ来院するようにと言ってくれた。
着いたのは9時前で、もう意識はすでになかったが、偶然受付で一緒になった長女と、息を引き取るまでの約1時間見守ることができた。
息を吸って、吐くの間隔が徐々に長くなり、最後に息を吸ったあと、そのままま引き取ってしまった。
穏やかな最期だった。
火葬場では係の人が、骨が大きくまたしっかりしていることを指摘した。
その通り、骨のために牛乳を積極的に飲み、杖も使わずしっかり歩いていた。

5年前、妹が亡くなった時は後悔ばかりだった。
あんなにも仲の良かった妹とある時期から疎遠になり、気がつけばお互いの言い分を悪くとっていた。
なぜ、なぜとか、もっとこうすればよかったとか、どうしてこうしなかったのだろうかとか。
そしてそれは、今も消えてはいない。

私はずっと母が嫌いだった。
できることなら、母とはなるべくかかわりたくないと思っていた。
けれど、癌に抗って生きたいという彼女の強い意志を見た時、生きようとしている人に手を差し伸べなくてはいけないと、ひとりの人間として思った。
同時に、母が逝くときには悔いのないようにとそればかりを考えていた。
具体的に何をした、何をしなかったということは思い出せないけれど、今の私には少なくとも後悔はない。
自分なりの最善はつくせたと信じたい。

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