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日常生活の練習は日常に還元してこそ意味がある

今年、意を決して学び直すことを決めたモンテッソーリ。
総合研究所での学びを残しておきたくて、アウトプット。

一科目目は当然、日常生活の練習。
日常生活の練習ってモンテッソーリ教育の基本なのだけど、正直に言うと大きく目的を履き違えられて広まってるなぁと思ってる。

「日常生活」を「練習」する目的はモンテッソーリ教育の最終ゴールの「自立」の為なのだけど、なんだか脳を育てるコンテンツのようになっている。
指先を使えば脳が育つ!みたいな。
ビー玉落としも、ストロー落としも、ボタンやスナップのおしごとも全部、
別に脳を育てる為にやってるわけではなくて…。
(脳も育つけど、それは話すと横道に逸れるからまた違う時に書く)

ボタンとか洗濯バサミなんて典型的で。
別にボタンのおしごとをどこかから買ってくる必要なんて無い。
洗濯バサミだって、別に洗濯バサミのおしごとを用意しなくても良い。

ボタンはボタン付きのパジャマを買って、自分で時間がかかっても着る練習が出来るならそれで良いし。
洗濯バサミだって、洗濯ものを一緒に外してもらえばそれで良い。
ボタンのおしごとは出来ますけど、パジャマは時間かかるので着せてますとかなったら本末転倒。
洗濯バサミのおしごとはさせますけど、洗濯物は寝てる時にサッと取り込んでますとかも同じ。

ビー玉落としもビー玉が落とせる様になることが目的ではなくて、あれは指の力をつける為のおしごとなのだ。
指の力がつけば色んなことを自分で出来るからやるのであって、ビー玉を落とせても身の回りのこと自分でやってなかったら意味がないと思ってる。

ビー玉やビーズの数はだいたい8か10に揃えられていることが多いのは、別に数字を8や10まで教えたいわけでもない。
だから、横から数を数えるなんて言語道断なのだ。
数を教える教具でもないし、話しかけたら集中しなくなるから…。

なんとなくおしごとが出来ることが目的のように思われるけれど、モンテッソーリ教育でおしごとが出来ることが目的なんてことは絶対にない。
日常生活の場合は動きを獲得することが目的ではあるけれど、それは日常生活で発生する子どもの「やりたい」を子ども自身の力で出来る様にすることが目的なのである。

おうちモンテでもお教室でも、日常生活の棚の練習は日常生活を子どもが自分でやる為にやっているので、還元しないなら意味は半減すると思う。
それだけ、脳を鍛える機会も減ってるから。
日常生活を自分で出来るだけさせるだけで、棚に並んでるおしごとのほとんど網羅していると思ってる。

実生活に還元して、日常の中で子どもが「やりたい!」「自分で出来た!」をたくさん味わってもらう為の日常生活の練習なのだ。
だから、日常生活を出来るだけ自分でやらせてもらっている子は、何にでも意欲的。すぐに「やりたい!」って言うし、実際にやったら出来るから「出来た!」も味わえてまた「やりたい!」が芽生える。

このループが大事なんだよね…。
本当に、モンテッソーリ教育子どもにやらせるなら、日常生活を自分でやらせてあげて欲しい。やりたがってるはずだから。


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