一億総裁判官化社会

昔、一億総白痴化だとか、一億総懺悔という言葉があった。僕はこれに倣って、一億総裁判官化社会を提言したい。
少し前、チュートリアルの徳井さんが申告漏れ、所得隠しなどで問題になった。するとイスラムだったかで普通に行われてきた「石打ち」のように集中攻撃。「犯罪者」だとか「もう見ない」だとか。別に徳井さんをフォローしたいとかそういう訳ではない。ただ、手のひら返しが鮮やか過ぎて、つまり、人間一度のミスも許されないの、と思ってしまう。例えば徳井さんはマネージャーべったりで、会社の所得の申告もマネージャーに任せていたため、自分に罪はないと思っていたかもしれない。それでも十分悪いだろうが、納得はいく気がする。
でもそれでも許せない。その時、人は「責任なき裁判官」になる。自分の中でその標的の罪を決めて、コメントをばらまく。と言っても、恐らく書いた本人に責任なんかない。あるのは掴み所のない正義のみ。「だって、◯◯さんって悪いことしたんでしょ?だったら、叩いていいじゃん」とばかりに。
もっと古い例でいうとKAT-TUNの田口さんの件や、ベッキーの不倫問題などでも、ツイッターが荒れに荒れたと聞く。
そんなにみんな、正義の味方でいたいのだろうか。そんなにみんな、悪人を叩きたいのだろうか。
僕は好んで松本清張の作品を読む。組織内の権力争いやリアリティーに溢れたもの、差別に関わるものなど、恐らく日本の推理小説に人間ドラマをぶちこんだ推理小説界の巨匠だろう。
松本清張の作品を楽しめるのは、あくまでもフィクションだからだ。現実にすると怖くて誰も読めない。多分松本清張の作品は誰の人生も狂わせてはいないと思っているが、今回の徳井さんの問題で、徳井さんがツイッターのコメント欄(ツイッターを知らないからこういうのがある体で書く)を見て絶望し、首でも吊ろうものなら、これ程後味の悪いものはない。言葉には確実に言葉以上のものがある。それを言霊という。そしてその言霊はいずれ、あなたに返ってくる。ネット社会で、責任なき裁判官が溢れる世の中。その中で私は、そして私たちはいかに生きるべきか。正義は自分の心に秘めとくもんだ、というようなことを「踊る大捜査線」の青島刑事が言っていた。まさにその通りかもしれない。

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