筆の随に

久々の投稿。「ふでのまにまに」と読む。「筆の赴くままに」といった意味だ。
さて、私は仕事終わりに、特に仕事で嫌なことがあった際に、よく車内で尾崎豊を聴く。歌が特別上手いとは思わないが、彼の「魂」(気障だが)が時に涙を誘う。私は思春期(親や大人への反抗)の時期がほぼなく、不良学生のようなヤンチャ騒ぎもあまり起こしていない、所謂「真面目」な学生生活を送り、現在に至る。その為か「放課後の窓ガラス壊して回った」時代が、ほんの一瞬我が人生にあれば、とすら感じる。
彼の歌で好きなのは「卒業」や「十五の夜」、「アイラブユー」「オーマイリトルガール」、「僕が僕であるために」「シェリー」など色々あるが、特に初めて聞いた時、「おぉ!」と感銘を受けたのが「17歳の地図」だ。
17歳というと、「大人」であって大人でなく、子どもでもない一番微妙な立ち位置の時間だ。私の好きな作家・中上健次に「十九歳の地図」があり、その年齢も微妙な立ち位置であろう。
さて、大人とはなにか。尾崎豊の歌詞から引用すると「電車の中、押し合う人の背中にいくつものドラマを感じていた。親の背中にひたむきさを感じて、この頃ふと涙をこぼした。」
他者理解は基本不可能と言われているが、理解ではなく、想像ならできる。中上健次のその作品の簡単なストーリーは1人の鬱屈した感情をもつ浪人生がいたずら電話を繰り返す話だ。その中で彼は周りから酷い侮辱を受ける売春婦にいたずら電話を仕掛ける。「なんで生きてんだ、恥さらしが!」等々主人公も酷い侮辱をかける。すると彼女は、「死にたいけど死ねないのよ、ゆるしてよお」と泣きながら訴える。電話がおわり、また主人公は別な会社にいたずら電話を仕掛ける。そして、ラストではその売春婦の言葉が再び蘇り、「喉元に反吐のような柔らかくぶよぶよしたものがこみあげてき、それをのみこむためにつめたい外の空気をひとつすった。これが人生ってやつだ」と彼は思う。そして、彼の涙で物語は終わる。
大人になるとは、他者の痛みを知り理解し、生きていくこと。時にはそれを背負う覚悟も求められる。そう、二人の詩人は一人は歌で、一人は小説で私に教えてくれたのだ。

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