ただ「好き」なだけ、はダメなのか?

お疲れ様です。僕の友人に城マニアがいる。マニアと言っても、城に行って中を見学するのが好きで城自体に詳しい訳ではない。そんな彼が地元の城マニアの集まり(と言っても、数人で集まるだけらしいが)に、はじめて参加した。そこで、マニアの一人から「現存十二天守を全部言って」と言われた。彼は結局答えられず、集まりに来るなと爪弾きにされた。「現存十二天守」と言うのは知ってはいたが、僕も多分答えられない。
そこで、一つ思った。マニア、いや、「好き」って何だろう。僕の考えが甘いかもしれないが、知識はあまり無かろうとも、見るのが好き・行くのが好きと言う人も、「好き」と広言して良いのではないか。確かに知識があった方が話は弾むし、もっとそれを好きになるだろう。しかし、知識は知識でしかなく、それにより知識無き者を爪弾きにしてはならないと思う。知識の無い人にはその次元で話をすれば良いだけだ。
僕の場合は、推理小説が好きである。しかし、ホームズ物は全て読んだが、全ての話を記憶していなく、精々好きな7つ8つをこんな内容だと話せるくらい。でも、推理小説が好きと言うことに変わりはない。推理小説は最も(書かれた)時代や流行を描き反映している究極の現代文学だとすら思っている。
相手の「好き」の程度を確めるのはいい。しかし、、知識が無いからと「お前は◯◯が好きではないから」と爪弾きにすることはナンセンスだ。
読んでくださり、ありがとうございました。

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